2012年9月7日金曜日

健康的な世代構成


今週は強化週間かと思うほど打ち合わせが多い。一度の打ち合わせに各関係会社から3-4人の参加で多いときは30人程になるものだから、とにかく疲労困憊する。

しかし救われるのは、どの打ち合わせも大体メインで参加しているのは30代か40代の人ばかり。皆、脳内活動が活発で、流動的に変化する状況にも臨機応変に対応し、すぐに電話で確認をとったり、最新の機器でデータを変更したりと、とてもアクティブに物事が進んでいく。

ホストとなるクライアントのトップもふんぞり返っているのではなく、施主として精一杯建築の各分野のことを自分の言葉で理解しようとし、各プロフェッショナルを尊重し、それぞれの知識を掛け合わせ一番よい方法を見つけようとしている。

そこには偉そうにふんぞり返っているかつての功績に胡坐をかいているおじさんはいないし、自分の保身の為に本音と建前を使い分け偉いと思われる人の顔色を伺う人の姿も無い。

非常に健康的な打ち合わせの姿だと思う。

十分経験も積み身体も思うように動かなくなってきた50代に入ったら、社会を動かす大変な責務と責任はアクティブに動ける若い世代に引渡し、自分は孫と一緒に過ごしたり好きな趣味に時間をかけたりと、若い自分とは違う時間の過ごし方をしている、そんな老人の姿を街のいたるところで目にする。

経済を動かしたり社会を牽引したり、いつまでも重要な地位にいることでしか自分のアイデンティティを確認できない、そんな人にはきっと無理な時間の過ごし方だろうと、早朝の公園で水に濡らした筆で地面に達筆な文字を書いている老人の姿を見て思う。

既得権益を握り締め、どのような世代構成が社会にとって一番いいのが、自分の立ち位置が見えないことは、その人だけでなく社会すら不幸にしてしまう。そして何よりも見苦しい。

社会の中心となってハンドルを握る為には、経験すべき時に必ず経験しておくべきことがあり、それ経験を上の世代のエゴにより握りつぶされ経験できず、成熟することなくダラダラと歳を重ねていく。そんな状況によってもたらされる社会的不具合が、噴火寸前のマグマのように至るところからグツグツ噴出している、そんな雰囲気の今の日本。

なぜそれができないのだろう?と考える。

一つには働かなくなっても生きていけるような社会的システムが整っていないからだろう。社会的地位が向上するにつれ、盲目的に上げられてきたその人の生活水準。会社という枠の中におさまっているからこそ維持できたその贅肉だらけの生活を、いきなり必要十分に変化させるのに耐えられない。また、現行の年金システムで支えられる生活水準と、まっとうに生きてきたと自ら信じる人々の生活水準との間にある乖離を埋められずにいる。

では、思い切って生活インフラと生活必需品の値段を下げる。なんていえば、デフレ加速と槍玉に挙げられること間違いなし。そこで手詰まり。

それなら、とっとと都市部における土地所有をやめさせて、現役以外の世代はできるだけ都心部から離れて暮らせるようにすることと、またそれを推進していくような、少々強引な手も必要になってくるのか?などと考えずにいられない。

噴火をする前にスッと身を引いて、遠目から若い世代を暖かく見守る。

そんな上の世代がちゃんと幸せに生きていける社会にならないと、今度の火山灰は相当酷く都市機能不全を引き起こしそうだなと想いを馳せる。

2012年9月6日木曜日

一言

今週もまた新しいメンバーがオフィスに参加した。

インターンだけで5人。ハンガリー、タイ、カナダ、アメリカ、中国。そして新しい所員として一人アメリカから。

それぞれのメンバーのCVを再度確認し、誰がどのようなことを得意としているか理解し、進行中の各プロジェクトのプロジェクト・アーキテクトと話をし、どのような人員がどの部分の仕事に必要か確認をする。

リストを持って各人を回ってそれぞれの顔写真を撮影し、どのプロジェクトに参加するのか説明をし、

「Welcome to MAD」と伝える。

その顔写真と一緒にそれぞれの個人情報を連絡帳にデー化し、出身国や出身大学、そしてどのプロジェクトに配置されるかをタグで管理。

顔と名前と特徴を把握し、暫くそれぞれのプロジェクトでどのようにパフォーマンスを発揮できるか見ながら、必要に応じて配置換えをしていかなければいけないので、少しでも早くメンバーとして自分の海馬に認識させるにこしたことはない。

以前書いたが今は様々な国でも夏休みということもあり比較的多くのインターンがオフィスにやってくる。以前から来たいたインターンと新しく参加してくるインターンの移行期でもあるので、総勢17人のインターンとなっている。

若いときに建築事務所で所員として働いている時にそうだったが、自分よりシニアである人やチームリーダー、ダイレクターやボスからどんな風に自分がやった仕事内容が評価されているのか、どこをどういう風に伸ばせばより優秀な建築家になれるのか?少しでもいいから話をしてもらい、一言を貰いたかった。

しかし、その一言をくれる人、プロジェクトの切れ目切れ目で時間を費やしてくれる人というのはなかなかいないもので、皆自分のステージが上がるごとに自分の視界で精一杯になり、昔の自分の視点などは振り返っている余裕はなくなってしまうものである。

「オフィスは学校ではない」のは当然であり、学ぶ環境やモチベーションをこちらが用意してあげる必要はなく、オフィスの毎日の活動の中でどれだけでも学べるところは見つけられるはずである。

しかし、自分の青春を捧げ、これからの人生を共にする職業としてそれを選ぶかどうかまだ定かでないインターン達。想いをもってこの事務所で建築が生まれる現場を経験したいと応募してきて、二十歳そこそこでは大変な思いをしながら、住む場所を変えて住まう環境も違う場所に飛び込んでいく、その調整を踏まえてやってきたこの地。

そこでボスの一人がかけてくれた一言は、一人の建築家としてその後そのインターンが歩む道にどれだけ大きな影響を与えるのか。恐らく今はそう思わなくても、いつかきっとその意味が芽を出す日がくるのだろうと思わずにいられない。

建築は楽しいんだということを少しでも感じられるように、また建築家として生きることが豊かなことだということを思えるような、そんな接し方と一言を彼らの心のどこかに残せるように、遠目からそっと見守ることにする。

2012年9月5日水曜日

20分

夜の19時過ぎ。やっと自分のデスクに座ることができた。

かと思ったら、修正部分についての打ち合わせをしようとアモイで進めているプロジェクトの担当者がやってくる。そうだった・・・と思いながら、再度気を奮わせて打ち合わせに。

20時過ぎに打ち合わせを終えて振り返ると、結局今日一日自分のデスクでモニターを前に過ごしたのは20分足らずだったと驚き、そんな日は脳への負担も大きいはずだと、帰り道には十分気をつけようと自転車を飛ばす。

ハルビンで進めているオペラハウス。

建築家としての一生でオペラハウスを設計する機会があるというのは、実に稀であり、またとても幸せなことだと思う。ロンドンで働いていたザハ・ハディド事務所にとっても、オペラハウスはカーディフからの念願で、やっと中国・広州にて実現した思いの強いビルディング・タイプである。

オペラという視覚と音響の芸術だけあって、建築に求められるのは美しさとともに、素晴らしい音響空間を作り出す楽器としての要素。

朝の9時から施主、施工図担当の設計院、内装設計会社、アコースティック・コンサルタント、舞台音響のコンサルタント、舞台音響の専門家達経ちがオフィスに集まり、現状の音響設計の説明と、建築意匠の説明を踏まえて、如何に世界で一番の音響空間を作れるか、舞台音響の専門家達がそれぞれに意見を出し合う。

新彊のあのホールは低予算だったけど、音響空間はあれあれ、これこれでよくできているなどや、719やyamahaがどうのなどの専門用語が飛び交う中を、想像力でピースを埋めながら話についていき、とにかく舞台音響コンサルが一番ベストな設備情報をこちらに提供することで会議が終了。

既にお昼時で専門家達は施主達とともにランチに行くが、こちらはサンドイッチを頬張りながら午前中に溜まったメールの処理をする。

内装設計会社の担当者と、舞台音響のコンサルタント、アコースティック・コンサルタントに残ってもらい、具体的なスピーカーの処理の仕方、大きさ、向き、角度などを準備してあったファイルを元に一つ一つ質問し、それぞれにとって一番良い解決法を議論する。

舞台音響にとっては、でかい穴を壁に開けて、どんな風にでもスピーカーの角度を変えれるようにしておくのが、それはそれはベストとなるだろうが、できるだけ建築側のデザインを踏襲しながら、かつ1600あるどの席にも主なスピーカーから直線で音が届く事が必要で、さらにそのエリアをカバーするスピーカーが必要となってきたりと、大空間に大人数が一つの劇を音の到着するまでの時差を考慮しながらもベストの状態の音環境を作り出すには、それこそコンマ何秒を追いかけながら、見えないものを設計することが必要となる。

施主とのランチで思わぬ量のビールを飲んだからなのか、それとも毎日大音量のスピーカーに囲まれているからなのか、あきらかに自分の声量のコントロールのタガが外れ、こちらの鼓膜を痛めるような声量で話続ける舞台音響のコンサルタントにちょっと黙っててもらい、現状のデザインをもとにした設計からの質問および調整事項を説明し、それに沿って舞台音響の提案をやり直してもらうことにする。

打ち合わせが終了し、更にあがってしまった声のボリュームの舞台音響のコンサルタントから逃げるように、今度は外装材のアルミパネルを最適化してくれているBIM・コンサルタントとの打ち合わせに。

そのコンサルは、Gehry Technologies通称GT。

ゲーリーはもちろんFrank Gehry(フランク・ゲーリー)からきている。3次元曲面を多用するゲーリーの建築を解析するべく奮闘していたリサーチ・チームから発展し、世界的に広がった自由曲面の建築を解析し、最適化して建築材に落とし込むことに特化した別会社として立ち上げられた BIM・ コンサル。

このオペラハウスもその複雑な外形を最適に解くために、GTの手助けを借りているのだが、それでもなかなか進まないオプティマイゼーション(最適化)の為、担当者チーム3人をこちらのオフィスに送ってもらい、一週間の駐在としてもらって一気に作業を進めるようにしているので、その進行状況をチェックする打ち合わせが毎日行われる。

コンピューター上に存在する複雑な3次曲面を現実の世界に存在する建築を構築する一部材とするために、様々な要素を考慮しながらも一番デザインをより良くするであろう方法で分割線を決定していく。

中国での施工レベルと、3次曲面の現場での施工性、如何に誤差を目立たなくすることができるか、どうやったら全体のデザインコンセプトとかち合わないか、オランダ人のプロジェクト・アーキテクトと中国人のプロジェクト・マネージャーがそれぞれの意見をぶつけ合わせ、ほとんど喧嘩の様になってくる。

どれが一番ふさわしい方法かと必死に頭を捻りながら、言い合う二人の姿を見て、そこまで熱くなるほど、少しでもこのオペラハウスを良くしようと夢中になっている証拠だなと、なんだかハッとさせられる。

とりあえず意見を取りまとめ、考えられる方法を3つほど試して明日再度確認することにして、今度は構造材から防水層、断熱材、サブストラクチャーを考慮した700mmのセットバックが最新の構造模型を入れていくと、ところどころで問題があるということをGTが見つけ出し、どう処理するかの打ち合わせに。

クラディング、壁、床。それぞれの部分でどこが問題か3次元ですべて確認し、それぞれ施工図から断面、平面を確認し、担当構造コンサルに確認し、ファサード・コンサルタントに確認する。納まりの変更で対応できるのか、それとも外装の形状を変えなければいけないのか、またしても喧々諤々の議論になり、いくつかは構造とファサードのコンサルと踏まえてでないと結論が出せないとのことで、急遽明日の打ち合わせを打診して、GTが駐在できる今週中に目処をつけれるように段取りをする。

議論のほとんどが中国語で行われ、時々分からない言葉は隣でオランダ人のプロジェクト・アーキテクトに通訳をしている中国人スタッフの言葉を右耳で聴きながら全体を補い、それで中国語で質問や議論はしなければいけないので、かなりの集中力を要求され右脳も左脳もごっちゃになって打ち合わせが終わるたびにクタクタになる。

やっと戻ってこれた自分のデスクで溜まったメールにがっくりとうな垂れていると、アモイで進めているプロジェクトの担当者が呼びに来てくれ、気合をいれてクライアントのトンでもない要求により提出したSDも、掘り出した現場も関係なく変更を余儀なくされたデザインの更なる修正と、金曜日に迫ったこちらの構造コンサルのARUPに渡す基本平面図について話し合う。

どうやったって放り投げることはできない中で、如何に楽にできるかを考えると、それはできだけの自分自身の時間と効率のオプティマイゼーションしかなくて、その為にも少しでも早く完璧な中国語がかかせないなと思いながら、家に帰ってからの中国語の宿題に頭を切り替え、語学は右脳か?それとも左脳かと考えながら月の照らす夜道を飛ばす。

2012年9月4日火曜日

堕ちるのに時間はいらない

圧倒的弱者である幼児を相手にニュースにとても嫌な気分になる。

宮崎勤の事件で見せられた、ワンルームに溢れる欲望の嵐。一見雑然としたその風景に秘められた欲望の秩序。VHSという淘汰された媒体の助けを借りることでこの世に現れた欲望の風景。

かつてはエロ本を一冊購入するにもそれなりの出費が必要だったが、現在ではモニターの前から動かずとも、ワン・クリックだけで無限に自分の欲望を満たすものが飛び込んでくる。

それは誰にも制御されることなく、インターネットによって加速させられる欲望空間。

ゆとり世代やゆとり以後という安易な言葉ではくくれない、誰も制御してくれない肥大化するだけの欲望に、どう折衷していくか教えられることなくその身体を晒されてきた世代。

たとえ同居していても、ワンルームという境界の裏で、モニターというブラックボックスに入れられて、インターネットのクラウドの先に隠さた、親からも見えない世界で密かに、そして確実に大きくなる欲望たち。

社会との接点は煩わしいものではある反面、人間一人では保つことができない理性を繋ぐか細い線として機能する。しかし、無意識のうちに現代人はその糸を一つまた一つと切ってしまう。そして現実と自分の妄想の中の欲望が乖離していくのに気づかないまま、誰も注意をできることなく、現実の世界を朦朧と漂うことになる。


「堕ちるのに時間はいらない」


酒鬼薔薇聖斗事件で社会が感じだ背筋がゾッとする理解不能な猟奇的感覚。しかし今度は違う。これはインターネットと個人主義によってもたらされた、誰にでも、そしてそれはあっという間に訪れうる欲望の穴。クラウドの先から、モニターには納まりきらず、果たしてワンルームから飛び出し街に溢れる欲望空間。

日の光に当たるべきでない蠢くような腫れ物が、一気に外に解放される。
それはあまりに自由であまりに危険。

ぜひ、容疑者の部屋とそのモニターの中に隠された欲望を社会に曝して欲しいと願う。そこに広がるのは恐らく整然とした白く漂白されたような空間だろうと創造する。

2012年9月3日月曜日

ジョガーズフット

体重増加が甚だしいので行き始めたジム。

望みとしては、歯を磨くくらいの日常としてランニングをして筋トレをしたいと思うタイプなので、毎日それが可能な時間をどこで捻出するかを考える。

事務所に出る前に一時間だけ語学学校に通い、夜は仕事の関係で帰りの時間がまちまちで、ご飯を食べた後は学校の復習をしなければいけないので、必然的に取れる時間は更に早い朝の時間ということで疑問は無く、仕方が無いので7時前に起きては30分のランニングと一部所の筋トレをなんとか終わらして、急いで家に戻って果物メインの朝食をほお張り学校へ向かう。

そんな一ヶ月を過ごし、どれくらい歯を磨いたかと確認してみると、一ヶ月のうちに24日走った様で、これならプライマリー・バランスはなんとかクリアだと思っていると、なんだか最近足の裏の内側とかかと部分に鈍痛を感じるようになってきた。

嫌な思い出もあるので、ちょっと心配してネットでいろいろ調べてみると、「ジョガーズフット」などという呼び名で、同様の症状が報告されている。つまりは足の筋肉が炎症を起こしているということ。

不思議なことに一日なんとも無かったのに、夜にベッドに横になると痛みを感じたり、朝起きたら痛みを感じたりすること。悪化させたくはないのですぐに馴染みのマッサージ師に相談して状況を説明すると、「心配することはない」とマッサージをしてくれ、「毎日これを入れて足湯をしてみればいい」と、漢方らしい薬をくれる。

しかし一向に収まる気配の無い痛みと、再度上昇の気配を見せる体重にヤキモキしながら、

「痩せるために走って、体重の重みで足を痛め、痛みの為に走れなくて、走れないために体重が増えて、増えた体重の重みがまた足を痛める」

と、なんだかどこかの国のデフレ・スパイラルにそっくりだな・・・と一刻も早い脱却を願う。

2012年9月2日日曜日

今日変わった

今日、秋になった。

朝外にでると、ひんやりとした空気を肌で感じ、季節が一つ変わったことを感じる。

そんな明確な境界線としての一日が、短く暑い夏を終えたロンドンには確かにあったなと思い出す。そんなことを思い出させる一日が北京にもやって来た。

昨日までの強い日差しはどこに行ったのかと思うような、しっとりした空気に感じるひんやりとした肌触り。空気の質が変わって、空気の粒子一つ一つがそれぞれ幾分温度を下げた感覚。

こういう季節の境界線は、いつも懐かしさと次の季節への期待を抱かせてくれて悪くないなと思いながら自転車を飛ばし、そういえば東京ではこんな感じは無かったかもなと思いを馳せる。

ダラダラとスプロールする東京の街並み同様に、東京の季節はダラダラと繋がってしまい、気がついたら季節が変わってしまっていて、その変化を感じさせるのは台風や梅雨の水たちか、それとも色を変える木々の葉達。

きっと昔の東京や江戸にはそれでも「今日変わった」と思える一日が存在していたのだろうと思うが、それを感じさせるために必要な自然と人工物のバランスが既に存在しえないのと、またそれを受け取るための人のセンサーが弱まっているのだろうと思わずにいられない。

2012年9月1日土曜日

「ジョン・カーター」アンドリュー・スタントン ★★★



まったく期待せず、何も考えずにただただ受動的に刺激を受けるのにちょうど良さそうだという意図で見始めたが、普段このようなアクションモノは比較的避ける妻も途中から興味深そうに見ていたように、意外と見入ってしまった一本。

重力のガルが変わってしまった空間で、もし1Gである地球上での筋力を維持することができたなら、それはいったいどれくらいのスーパーマンになるのか?

そんな計算を科学者に頼んだのであろうが、あくまでも1Gを基礎とした進化の過程で形成された人類の骨格が、重力場の違う世界でも同じような形態をしているというのには一切の説得力を持たないが、そこにリアリティを持たせようとする相当奇異な人類が現れてとてもじゃないが共感を持つことができないだろうという判断だったのだろうか。

未来でもなく過去でもなく、まったく違う科学の発展を成し遂げた世界を描くことの難しさ。地球の1Gの世界を元にした科学物理とは違う原則にそってあちらの世界の科学物理は発展するはずだろうが、それが一体どういう世界をもたらすのかに具体性がなく、ただただ砂漠の中に突然現れる近未来都市という、荒野と技術との並列という姿と、それでも空を自由に飛ぶ移動手段というどうにも使いまわされたイメージの混在。

そこかしこで首をかしげることになるのだが、それを差し引いても脳に刺激を与えずに、純粋に楽しめるアクション映画。
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監督 :アンドリュー・スタントン
キャスト :テイラー・キッチュ,リン・コリンズ,サマンサ・モートン,マーク・ストロング
,アラン・ハインズ
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原題 :John Carter
製作年 : 2012年
製作国 : アメリカ
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