2014年8月21日木曜日

「サウスバウンド 上・下」 奥田英朗 2005 ★★★★

丁度いい本というのがある。出張や旅行に出かける時に、かならず持っていくのは、ハードカバーの建築の専門書数冊。そしてブックオフなどで買い求めた数冊の新書。それに少々難しいめの文庫数冊。そこにプラスで持っていくのが、読むのに頭を使わなくてすむ娯楽文庫。読んでいてただただ楽しいこれらの本。ほうっておけばどんどん読み進めてしまうので、自分で「今日はここまで」と決めなければいけないタイプの本である。

そんな本の一つとして最近やたらと気にいっているのがこの奥田英朗。「最悪」「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」「オリンピックの身代金」と最近立て続けに読んでいるが、テンポの良さと時代背景を巧く繁栄したストーリー展開、それにテーマごとに良く取材をしてあるのか、破綻をきたさない人物と物語の設定で、「あるある」と共感をしながらサクサクとページを進めてしまうので、仕事で疲れた脳の疲労回復にももってこいと重宝している。

そんな訳で通りがかった恵比寿の古本屋が閉店セールをしている為に立ち寄って手に取ったのがこの一冊。あまりタイトルを気にして読み始めなかったが、読み終えて始めて「サウスバウンド」が「South Bound」であり、つまりは「南行き」を意味していることが良く理解できる。

恐らく休暇で訪れた沖縄、しかも離島で時間を過ごす中で、驚くような忙しなさで一分一秒が進んでいく都会とはまったくかけ離れた時間が流れているこの場所の在り方、空気を物語りにしたいと思い始めたのが最初だったのではと勝手に空想してしまう。

その対極におかれるのが、東京の中でも下町でも山の手でもない場所として描かれる「中野」。ブロードウェイやサンプラザといった名所が日常の中に溶け込んで、そこで幼少時代を過ごす子供の視点で物語りは描かれる。ビルの屋上から銭湯を覗き、自転車で汗をかきながら到着する山手線の内側。そんな決して都会っ子ではないが田舎育ちでもない普通な東京の子供達の姿が描かれる。

そんな二つの風景を繋ぐのは、かつては過激派として名を馳せた父親。その父親と駆け落ちしてずっと寄り添う母親。過去のことはあまり多くを語らないが、いわゆる普通のサラリーマンのお父さんでは無い父は自分の思想に忠実に毎日を生きていく。その父が都会の中と、沖縄の地ではまったく違って子供の目に映るものまた「南行き」の成せる業であろう。

これといって物語の大きな流れが最初から提示されることも無いので、話についていくのがしんどいかと思えばそんなことはなく、ただただ面白い。「子供時代のことをよくこれだけ生き生きと書けるな」と関心してしまうほど、子供時代の気持ちの動きの描写が優れている。

ちょっとしたことが面白かった毎日。執拗に絡んでくる不良など、どうしようもなく不条理なことがあったこと。決して逃げられなず、自分が生きることのできる世界には範囲があったこと。そしてそれは成長と共に、徒歩から自転車、そしてバスや電車と徐々に広がっていったこと。その中でも大人の存在と言うのは圧倒的であったこと。

子供には大人からは決して見えない世界のルールがあり、その中で嫉妬や羨望が絡まりあり、様々な感情に振り回される。暴力という不条理に物を言わせ、無茶な要求を迫る不良。そこからはどうやっても逃げられない無力さ。年上に助けたもらったとしても、「チクッた」として更に執拗な不条理が襲ってくる。そんな終わりの無い世界。

主人公が住んでいるのは、東京の中にポツンと浮かぶ島。それがたまたま中野周辺にあっただけである。あるきっかけで母親の実家があるという四谷に足を運ぶが、そこは自分達とはまったく違ったお金持ちの生活が待っている。距離だけではない心理的な差も含め、そこはまた別の島が漂っている訳である。

そんな主観的な島が幾つも浮かんでいるので現在の東京であり、それを縦断的、横断的に理解し、使いこなし、楽しむのは、この都市に何十年も住みながら、常に色々なところへと足を運ばない限り無理であろうと思えるほどの規模まで成長したのが現代の東京である。

そんな東京に浮かぶ中野の島から、今度は物理的にも島だと実感できる沖縄の西表へと移住する主人公家族。結局子供は親の決断に巻き込まれる形で人生のスタートを切ることになるという、現代の「貧困の連鎖」を思わせるような展開であるが、そこに待っていたのは広大な自然と、助け合い、支えあうことで生活が成り立つ、資本主義が支配する都会の生活とはまったく違った風景。

そんな島に吹き抜ける風や、真っ白なビーチ、好きなことを好きなだけ喋ることができるゆったりとした生活のリズムが十分に伝わってくる文章を読んだ後には、妻に「来年には沖縄の島に行こう」と提案せずにいられなくなる。

それにしても、これだけふり幅のある人生を体験することは、子供の人生にとって大きな財産になるのだろうと想像する。知っているものからしか判断を下せない人間の宿命。ならば当たり前が少しの角度を変えたら当たり前にならないということをどれだけ体験として蓄積しているのか。それを多く持っている人間のほうが恐らく変化の激しいこれからの世の中で強く逞しく生きていくことが出来るのだろうと想像する。

来年に、そんな沖縄のゆったりとした時間と空間を経験していることを願って本を閉じることにする。

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