2015年10月6日火曜日

水戸 ★★


久々に日本で時間を過ごせるならばやはり気持ちのよい神社に出会いたいと、東京から日帰りでアクセスできる距離で、建築、神社、城、庭園、景勝地などと食事などのプラスアルファに鑑みて、迷った挙句に選んだのがこの水戸方面。

「水戸」と言えば思い浮かぶのが「水戸黄門」。その印籠が威光を放つのはそこに葵の紋が掘り込まれているから。そしてその葵の紋に将軍家である徳川家の姿を見るからである。

水戸黄門として愛され水戸藩の二代目藩主となった徳川光圀。江戸時代が始まり30年近く。やっと徳川家の世として泰平の感が世に広まりつつあった1628年に、この常陸水戸藩に生まれ、その生い立ちから様々なすったもんだを経ながら藩主へと持ち上げられ、ナンと言ってもその隠居後の活躍によって「水戸黄門」として現代でも愛される人物として語り継がれる。

その光圀が時に江戸に上り、徳川宗家に諫言するするなど活躍できたのも、この「水戸」がもう一つ纏うイメージである「徳川御三家」であったからでもある。「御三家」と言われて昭和のスターの顔で浮かんでくる世代もそろそろリタイアが見え始めているのだろうが、それに比べてこちらの「御三家」はいつになっても色あせることは無い。

江戸時代において、将軍家である徳川宗家に次いで高い地位を確保していた3家をいい、何故それだけ高い地位を持ちえたかと言えば、その血筋の良さの為であり、宗家の後嗣が絶えた時に備えて家康がその血を残すために遺した制度と言われているという。

何々徳川家とは良く耳にするが、その中でも圧倒的にしっくりくるのがやはりこの御三家であり、それぞれの藩と石高、及びその居城は下記の様になる。

尾張徳川家 尾張藩 62万石 名古屋城
紀州徳川家 紀州藩 56万石 和歌山城
水戸徳川家 水戸藩 35万石 水戸城

しかし「将軍家に後嗣が絶えた時は、尾張家か紀州家から養子を出す」と言われるように、水戸は他の二家に比べやや家柄が落ちるとされており、それを示すかのように8代将軍吉宗から14代将軍家茂までの将軍派全て紀州家から輩出されている。

この御三家の人間は、将軍家やその下に位置する御三卿(ごさんきょう)とともに、徳川姓を名乗ることができ、また葵の家紋の使用も許されていたという。そこで冒頭の「水戸黄門の印籠」となる訳である。

それでは「御三卿」は?となると、江戸も時代が進み中期に差し掛かってくると、後継者の問題はより複雑になってくる。様々な思惑も交錯するのだろうが、それでも泰平の世を続けるためには正当な後継者がいることが何よりも大切ということで、将軍家と御三家からも後嗣となるものが出なかった場合に備えて準備されたのが「御三卿」という訳であり、下記の三家となる。

田安徳川家(田安家) 始祖は徳川宗武(第8代将軍徳川吉宗の次男)
一橋徳川家(一橋家) 始祖は徳川宗尹(第8代将軍徳川吉宗の四男)
清水徳川家(清水家) 始祖は徳川重好(第9代将軍徳川家重の次男)

こららの三家は藩主として藩を納めたのではなく、あくまでも江戸城下にて屋敷を構えて家を興し、その時期も8代9代将軍時代に集中している。一橋徳川家と聞けば、最後の将軍となった15代将軍・徳川慶喜が水戸家出身でありながらも、一橋徳川家へと養子に出され、後に将軍になったことでもよく知られる。

そんな訳で、家康の血を絶やさないことが何よりも重要視された江戸時代。江戸や京から離れた地に、しっかりとその血筋を遺し、どこかで何かがあった場合にも正統の血を後世に残せるようにした制度である。

それほど重要視され、徳川の威光を燦燦と浴び、徳川家の世を安泰にする為、宗家徳川家をサポートするためにと、様々な学問が盛んになり、その渦の中から儒教を中心にした水戸学が生みだされる。この水戸学がその後の明治維新の大きな推進力になっていくのはなんとも歴史の綾と言うべきか。

その水戸学の基礎をつくったのは、上記の徳川光圀がこの国の正しい歴史を集めようと始めた「大日本史」編纂の大事業。その事業の為にこの地に集められた様々な分野の学者達。そしてその光圀から7代後、江戸時代も後期に入った時代に、9代水戸藩主となった徳川斉昭によって作られた藩校である弘道館が、水戸学をより高みへを押し上げ、そこで徳川慶喜が学び、明治維新の重要な舞台の一つとなったのも、また歴史の紡ぎだす不思議な縁と言うことであろう。

そんな今の日本の姿の基礎となる江戸時代および近代の歴史において、非常に重要な意味を持った場所・水戸が、現代においてどんな都市として住まう場所となっているのか。あれほどの豊かな文化を生み出したその面影が現代の街並みにも残っているのか、それほどの重要な意味を持つようになったのは、その場所が持っている力が強かったからなのか。

新しい時代の礎となる学問を生み出した街の現在の姿には、その遺伝子を感じるような整った風景、文化レベルの高さを感じされる街並みに出会えるのか、そんな期待を膨らませてまだ暗い空のした、車を東へと走らせることにする。




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