2013年6月17日月曜日

「プラナリア」 山本文緒 2002 ★★★★★


家の本棚にいつからだろうか居続けた一冊。そのタイトルや口コミから面白いのは分かっていたが、どうにも手を伸ばすタイミングを逸してしまっていた一冊。

「共喰い」を読んで芥川賞がやはり面白いと思い、それならば直木賞も一緒にと再評価してついに手に取った一冊。当時はやりだした「ニート」をテーマにした社会読み物的な一冊だとばっかり思っていたが、とてもとても、そんな浅いものではない。

読み始めると「働かない」を主題に描かれる5人の女性の姿に人間の根源的な姿を見せ付けられる。一章を読んだ段階で直木賞受賞が納得の凄い一冊。

これが「無職・男性」ならばこの話は成立しない。それが「女性」であるからこその様々な大義名分と言い訳。

/プラナリア  
/ネイキッド  
/どこかではないここ   
/囚われ人のジレンマ   
/あいあるあした   

それぞれの章で描かれる、何かしらの事情を抱えて現在定職についていない女性達。

「プラナリア」の春香は若くして乳がんになり、完治してはいるが、薬の副作用などで襲ってくる吐き気などを理由に未だに仕事に復帰することなく、実家にパラサイトをし、乳がんになったのは小さなときから食生活を配慮しなかった両親のせいだと、とんでもない理論をぶつけ、無職でいることへの免罪符を得ようとする。そうして自分自身を納得させる。

付き合っている恋人と一緒に友人と飲みに出かけると、「どうして働かないのか?」という質問に、「乳がんだから」とその場の空気を壊すのも分かっていながら、同情を得るのが目的でもなく、なんとなくその一言で自分がアンタッチャブルな存在になること、自分が無職であることが正当化されるような、とんでもないウルトラC。

「ネイキッド」の泉水は36歳。バリバリ働いていたが、二年前に夫から離婚を切り出される。「さもしいのは嫌なんだ」という言葉と共に。今までの自分の生き方を否定されて一人になるが、貯金も2000万円以上あり、マンションも自分名義で持っているために、生活自体は困らない。経済的に自立していれば、誰かに負担をかけているわけではないのでそれはそれで問題ないのかもしれないが、人間が社会の中で生きる生き物である以上、社会の中で社会に属さないでいることがどういうことかを描き出す。つまり「暇」をもてあます彼女の姿。

「どこかではないここ」では43歳の主婦・真穂。これが一番ゾッする。何の変哲も無い凡庸な家族。夫と息子と娘の4人での生活。しかし夫がリストラされて、給料が以前の半分になったことで人生設計の修正が必要になり、ローンも払うのが厳しくなり、自分は夜の10時から午前2時までレジ打ちのパートにでる。

高校生の娘は外泊を繰り返し、「お母さんのようになりたくないの。この家から出て行きたいの」と自立を目指す。雨にぬれて朝に帰ってきても、当たり前のように朝食が用意されると思って何もしない夫。「無理しなくてもいい」といいながら、話し相手として必要としてくる自らの母親。そして入院を続ける夫の父親の見舞い。

誰かに評価されるでもなく、誰かに感謝されるでもなく、それでも淡々と繰り返さなければいけない日常。どんなに負担が多くなっても、自分は止まる事ができない。自分の母親も含めて、今までの日本ではこういう主婦がほとんどだったと思う。その人たちが、「自分の人生ってなんなんだろう」と疑問を持ち始め、足を止めてしまったら、いきなり社会全体が回らなくなり、いろんなところで亀裂が入り始める。

「囚われ人のジレンマ」の美都は大学で心理学を学び、その当時から付き合っている同じ専攻で今は博士課程に進んだ恋人と関係を続けながら、自分は大手メーカーに勤めている。自分よりも頭が良くて、尊敬できる存在だったその彼から結婚を申し込まれ、正直に喜べない自分を見つけて葛藤し始める。

「男に生まれたばかりに、仕事先でも家庭でも強者であることを要求される。小さい方のケーキでいいと言うわけにはいかないのだ。」

という言葉でまだまだ日本に蔓延するジェンダーの問題を提示する。平等を求めながらも、それでも男性には自分よりも多く稼いでいてほしいし、自分と過程を養っていける力を持っていてほしい。そんな女性の矛盾し、いやらしいが本音の気持ちをさらけ出す。

そして最後の「あいあるあした」のすみ江。最初はこの章だけ男性が主役か?と思いきや、彼を動かし行動させているのは、不思議な魅力をもったすみ江の姿。真島の居酒屋で手相を観ることによって飲み代を捻出し、色んな男に依存しながら生きるすみ江の姿は、多くを望まなければそこそこ生きていける現代の日本を描き出す。何か達成したいことがあるわけでなく、何か手に入れたいと望むものがあるわけでもなければ、将来への負担からくる貯えなどを考えなければ、それなりに今を生きられる。それならば何のために生きるのか?

兎にも角にも良くこれだけ、人間が抱える嫌な感情、嫌な考え方、できることなら人に知られたくない、見られたくない負の部分を余すことなく、そしてそれが相応しい形の人物を使って描き出した力作。重ねて言うが、これが「無職・男性」ならばこの小説は成立しない。それはそのまま社会不適合者、ニート、格差社会の負け犬と分類されて、情弱の本人が悪いとレッテルを貼られて終わってしまう。それが「女性」であるからこその様々な大義名分と言い訳によって物語が成立する。その着眼点。すばらしい。

それにしても、それでも生きていける現代の日本。働かないことがそのまま死を意味する他の多くの国ではなく、飽和しつつ希望も持たない現代の日本の一面をとても新しい切り口で見せてくれる良作である。


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第124回(平成12年度下半期) 直木賞受賞
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