2021年10月6日水曜日

House of Kunio Mayekaw 前川國男邸_Kunio Mayekawa 前川國男_1942 ★★★

 


前川國男(Kunio Mayekawa)

建築家の自邸をテーマにいろいろと観てきたが、そろそろ日本の住宅をと思いを巡らし、その一作目にふさわしいのは何かと考えるとやはりこの「前川國男邸」になるだろうと、かつて訪れた時に記憶を巡ることにする。

戦時中、品川の上大崎の土地に建てられてこの木造住宅。現在は立川の「江戸東京たてもの園」に移築され、一般公開されている。

コルビュジェの弟子として日本で近代建築の発展に尽力していた前川が40を手前にして建てることにした自邸。フランスのコルビュジェの元で2年間修業をし、帰国したのちはアントニン・レーモンドの事務所で勤め、そして1935年に自らの事務所を設立したのは28歳の時だから、今で考えればとても若い時期に独立したことになる。

その後10年ほど経ってのこの自邸であるが、前年の1941年に太平洋戦争が始まってしまった為、物資の限られた中での設計となり、 また建築面積にも30坪という制限が設けられた中で、できるだけ豊かな空間をと工夫が凝らされた設計となっている。

そんな制限があるというが、北側の玄関側と、主要な機能が面する南側に、十分に奥行きをもって取られた庭が設けられているのは現代の東京では考えられない豊かさであろう。建物自信の影になる北側は、高さ1m程の大谷石の塀で視線を遮りつつ、二度身体を方向転換させることで、門扉なくとも十分に境界の役割を果たしている。

大屋根の切妻屋根とそれを支える棟持ち柱が作り出す強い中心軸を避けつつも受けられるアプローチ。辿りつく玄関脇にはダイニングへの視界を遮るための大谷石の塀が再度設けられるが、そこには内部から訪問者を確認できるような穴があけられる気配り。

玄関を入り女中室や書斎などの比較的パブリックなスペースを繋ぐ廊下から大きな回転扉を回して入るのがこの住宅の中心となる二層吹き抜けのサロンと呼ばれる空間。南の庭に面して大きく設けられた開口部にはプロポーションの良い障子が設けられ、降り注ぐ日の光をフィルターしながら室内を満たしてくれる。

イサム・ノグチの照明が高い天井から吊らされ、ロフトの下の背の低い空間に置かれたダイニングテーブルは不整形な形で空間に変化を付け、 ゆったりとしたソファーセットと、それとは別に二つのオリジナルデザインの椅子が一つの大きな空間に個別の空間を作り出す。サロンに入ってきた人は、少なくとも三つの座る選択肢があることは、ロースのミューラー邸のサロン空間にも通じる豊かさ。

サロンを中心に東に寝室。西に書斎。中央にトイレなどのバスルームが配され、北側は東側がキッチン、西側が身の回りの世話をした女中の部屋。そしてサロンに設けられた階段から上がるロフトは簡単な作業スペースだったであろうか、全体としては左右対称の非常にシンプルな設計であるが、毎朝寝室では日の光と共に目を覚ますことができたであろうし、サロンや書斎では時間ごとに変わる日の感じで時間の流れを感じ取れ、家の中にいるそれぞれの人の気配を感じ取ることができるサロンでゆっくりを本を読んだり思考にふけったりとしていたのだろうと想像できる。

外部も非常にシンプルであるが、それを成り立たせるために様々なところに気の利いた設計がなされており、雨戸の仕様などなるほどと感心しながら、建物の周囲をぐるりと一周する。

サッシからすべて木造で制作されている時代背景を色濃く感じることのできる住宅であるが、日本の気候の中、外部に自然を持ち、その庭が世間との距離を保ち、外部と一体となる室内で暮らすことがこの国の住宅にあるべき姿だと教えてくれるような住宅。

都市化が進んだ現在の日本。その中で日本の住宅とはどうあるべきか。











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