2017年1月27日金曜日

韮山反射炉(にらやまはんしゃろ) 江川英龍 1857 ★


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世界遺産 (2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として)
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東京のお台場に行くと、その由来は幕末に設置された砲台である品川台場の名残だという説明を受ける。新しい外敵を向かうべく、新しい時代の技術を取り入れた砲台が国策として整備され、その中心人物として紹介されるのが伊豆韮山の代官であり、鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の必要性を説いていた江川英龍(えがわひでたつ)。

まず初めに「反射炉」と言われても現代に生きる我々にはなかなかピンと来ないが、その歴史をみてみると、江戸時代末期までの従来の鋳造技術では大砲の砲身を鉄で作る際になかなか均質に作ることが出来ず、その為に大量の火薬の衝撃で破裂してしまい実用できないために青銅製の大砲を使っていた。しかし蘭学者などが発展していたオランダの技術書を参考に均質な鉄の鋳造が可能な方法として、熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別々になっており、燃焼室で発生した熱を壁や天井で反射させて炉床に集中させる形式の「反射炉」を採用したことで、念願の鉄製の大砲が可能となったという。

鎖国という国を閉ざすことが技術革新にとってどのような停滞をもたらし、外の情報に触れることによりイノベーションが起こされるという時代の変化の象徴的な施設であり、江戸幕府の領国であったこの伊豆韮山に国策として多額の費用が投入されたのも、これから佐幕か倒幕かに国が二分されていく時代の境目としてこの地が果たした役割を現代に伝えていることになる。

さて、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されたことで、一気にその名が知られることになったこの反射炉と韮山の地。その後押し寄せるようになった観光客の為に2016年暮れにはガイダンスセンターが整備され、様々な展示を通してこの韮山反射炉の歴史を学ぶことが出来るようになっている。


ちなみにこの建物の設計はINA新建築研究所、展示制作は丹青社ということ。ガイダンスセンターではムービーや模型で概要を学び、その後地元の人の手によって保存されていた実際の反射炉を見ることができるのであるが、そこでも地元のシニアボランティアが観光客に説明をする姿が見受けられ、このように新たにスポットライトを当てることは、観光客を呼び込むだけでなく、その地に住まう人々に新しい生きがいや誇りをもたらすのだなと、今後の地方創生の一つのあり方なのだろうと思いながら、近くにある江川英龍の邸宅であった江川邸へと車を向けることにする。






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