2014年2月1日土曜日

島根県立美術館 菊竹清訓 1999 ★


--------------------------------------------------------
所在地  島根県松江市袖師町
設計   菊竹清訓
竣工   1999
機能   美術館
敷地面積 14746㎡
建築面積 9311㎡
延床面積 12498㎡
階数   地上2階
最高高さ 15.5m
構造種別 鉄骨鉄筋コンクリート造一部鉄骨造
--------------------------------------------------------

休館日
・火曜日
・年末年始

開館時間 
・【 3月~9月】  
  10:00~日没後30分(展示室への入場は日没時刻まで)
・【10月~2月】 
  10:00~18:30(展示室への入場は18:00まで) 

入館料:
・企画展/一般1,000円・大学生600円・小中高生300円
・コレクション展/一般300円
--------------------------------------------------------------
最も好きな建築家の一人である菊竹清訓(きくたけきよのり)氏。ここ島根には初期から後期まで氏の建築設計の軌跡を辿るのに相応しい重要な作品が多く残されている。出雲を中心とした大社造の聖域を感じ取るのが寺社建築の目的であるならば、現代建築の目的はこの菊竹作品を見て回り、稀代の建築家が時代の流れと共に何を見て、何を感じて設計にいそしんだのかを感じること。

そんなことを期待しながら、玉造温泉から再度松江市内へと車を走らせる。既におなじみになった宍道湖沿いの風景。松江市の中心を走る大橋川にかかる4本の橋。その一番湖側の橋のたもとに太陽光を反射する特徴的な屋根を持った長い建築物をこの街で生活する人は一日に何度も目にするのだろうと想像する。

宍道湖の畔に横たわる、長い特徴的な金属屋根を持つのが目的地の島根県立美術館であり、1928年生まれの菊竹清訓の71歳の時に竣工した非常に後期の作品となる。氏がキャリアの前半に手がけた他の作品が位置する松江城周辺部とは宍道湖を挟んで逆側のこの敷地に30年の隔たりを持って美術館という地域にとって重要な公共建築を手がけるというのはどのような気持ちだったのだろうかと想像する。そのスケールも前半のものの小さくコントロールされたものから、一気に巨大な公共建築のスケールへと肥大化した印象。

幹線道路が湖沿いを走っている為に、敷地内に十分なスペースが確保するのが難しかったと見えて、駐車場は道路を挟んだ南側に設置されており、駐車場からは地下道を通ってアプローチすることになる。必然的に道路からの引きも十分に取れておらず、アスファルトで敷かれた10数台分の駐車スペースとドロップオフがあるだけで、公共駐車場からくる訪問客は建物に沿いながら正面玄関へと到着することになる。

つまりここまではこの建築の大きな主題であるその曲線を利用した屋根面も、宍道湖にそってカーブされた平面形も感じることなく、また正面玄関の手前を奥をガラス張りとして宍道湖への視線を通そうとしたことも感じることなく、精神の高揚を与えられずにエントランスにたどり着いてしまう、県立美術館としてはなんとも寂しいアプローチ計画。

ロビーに入ると右手にカフェがあり、左手にチケットオフィスとその後ろに展示空間。正面には高い吹き抜けの先にガラスのファサード越しに日が沈み始めた宍道湖の姿。島根の中心地松江。その歴史を眺め続けてきたこの宍道湖。その東岸に位置する敷地であるから、如何に宍道湖の奥に沈んでいく日の眺めを取り入れながら空間を構成し、同時に西日をどうやって遮るかが主題と課題になったのだろうと想像する。

その解答が湖の形をオフセットしたような曲面形状を持った屋根と、その中に幾何学的に開けられた円形の展望スペース。そしてその大屋根で覆われた機能的な箱群。

公共空間である移動空間に何か宍道湖との関係性を表す特別な空間性が見られる訳でもない。技術的に可能になってきた曲線での建築形態を利用して、自然の作り出す雄大な曲線の横に人工の巨大な曲線を重ねることで何か特別な風景が現われたのだろうかと疑問に思わずにいられない。

改修中で展望台にアクセスできなかったのは残念だが、美術館の内部にいる限り、この美術館が宍道湖の畔に位置していることが感じることはなく、外部空間とのつながりに何かしらの意図があったとも見受けられない。

それよりも曲線の建築の難しさ、フラットな面である顕在でグローバルな曲線を作り出すことの無理が、様々な納まり部分で目に付いてしまう。目地が通らないことや、割付がおかしくなるなど、自分達が日々の設計業務の中で毎日格闘しているその苦悩が見えてくる。

しかもこの建築は現在我々が挑戦している3次元の曲面ではなく、2次元の曲線の建築でありながら、なおこのような困難な問題が表面化している。では、そのチャレンジが空間を何かしら浴しているだろうか、と問わずにいられない。それは美術館と言うよりは、どこかの国の空港の様な印象を受けずにいられない。それほど、曲線は難しい。

1928年生まれの菊竹清訓氏。若い頃あれだけ激しい表現と建築の可能性を追及した建築家。

1965年 東光園(37歳時)
1970年 島根県立武道館(42歳時)
1975年 パサディナハイツ(47歳時)

規模は小さくとも、溢れんばかりの建築家の情念が感じられる空間やディテールを纏うその作品達。この場所からの眺めを見たかったに違いないと思えるような空間がいくつも存在した。不器用でも何か表現したいものが感じられた作品群。

それらの比較的初期の作品に比べると、どうしても何かが違うと思わずにいられないこの美術館。もちろん竣工時に71歳ということで、流石に現役でバリバリ設計に携わっていたとも考えられず、その魂を受け継いできた事務所として設計を進行していたのだろうが、この建物独自の特別なディテールや納まりが見られるでもなく、目の前の宍道湖と湖面に対応するこの風景が作りたかったのに違いないと思われる場を感じるでも無い。

そこにあるのは、やはりどのサイトや書籍でも言われるように宍道湖に対応した曲げられた屋根。そしてその下になんともない機能空間が納まっている。

外にでると、湖畔で遊んでいる子供の姿に助けられるが、それはこの場所が持っていた空間性。それがこの建築が建てられたことでどれほど向上したのだろうかと想像する。

兎にも角にも20世紀の終わりに誕生したこの作品を基準線として、今回の菊竹巡礼のを始めることにして再度地下道を潜って駐車場へと戻る事にする。






























0 件のコメント:

コメントを投稿