2014年5月17日土曜日

ケース・ゼロ

インデックス・ケース、もしくはケース・ゼロと呼ばれる病原菌の発生ケース。つまりは一番最初に病原菌が生まれた患者のことを指す言葉。

エイズにしろエボラ熱にしろ、人間が何かしらの手を打たない限り、加速度的に広がりを見せていく病原菌。人間の持つ免疫では防ぎきれず増加のスピードを抑えきれない。

ゾンビ映画を観ていると、まさにそれを感じることになる。最初の感染源がある限り、あとは無限に増殖するばかり。どうやっても後戻りは出来ないし、駆逐することも不可能になってしまう。

それを止める手立てのヒントは、最初のケース、つまりケース・ゼロにある。なぜその病原菌が生まれたのか。どんな発生メカニズムを持っているのか。何が威力を弱める手立てとなるのか。

恐らくこれは現代日本の様々な場所で増殖する「ファスト風土」でも同じことが言えるのだろう。駅前に広がる様々な「消費者金融」が各階に入るテナントビル。群馬の太田市の様に、街の顔である駅前商店街が風俗店で埋め尽くされてしまった風景。どの地方都市でもモータリゼーションで開発された郊外に広がる、イオンモール、ブックオフ、ファミレスなどのレストラン・チェーン店が立ち並ぶ幹線道路脇の風景。

その土地の歴史や場所性とはまったく関係なく、今まで会ったはずのその土地独特の風景とは断絶した金太郎飴の様な無機質な風景。確かに便利である。車で手軽にいける場所に、大都市と変わらない商品が手ごろに手に入れることが出来る空間が広がっている。そして土地のオーナにも安定した家賃収益をもたらすのであろう。

このようなファスト風土にも堤防が決壊するように、必ず決定的なポイントとなるケース・ゼロがあるはずである。恐らくその土地に住まう人は、コミュニティを守るため、その土地の風景を守るために、そちらに移ってしまえば生活が楽になるということは心の中で理解しながらも、何とか横の連携をとりながら必死に食い止めていたはずである。

そんな状況の中で、徐々に地域のつながりが弱まり、ある日あるビルのオーナーがついに一歩足を踏み出し、風俗店にテナントを貸し出すことを決定する。周りに悪いなと思いながら、背に腹は変えられない。そんな状況を周囲は犯罪者でも見るように冷たい視線を送っていたが、二番目が現われるまでにはそんなに時間はかからなかったはずである。

一度決壊した堤防は、あっという間に崩壊が全体に及ぶように、風景が変わるのは一瞬である。その変化は止めようがなく、不可逆的な一方通行である。そしてその増殖は欲望が存在する限りエンドレスに増大する。風景が画一化することは、つまりはその地域社会が荒廃していくのと遠くは無い。

この様に、日本の現代の風景に潜む、さまざまなケース・ゼロ。「自分だけなら問題ないはずだ」と、そんなに重くは考えずに行う決断。その積み重ねがあっという間に日本の風景を変えていく。

様々な病原菌と同じように、この流れにもそれを防ぐヒントがあるのがやはりケース・ゼロであるのなら、ぜひともクローズアップ現代あたりに、太田市のケースや様々な地方都市のケースにおいて、誰がケース・ゼロとして働き、どんな状況で決断を行い、そして今はどのような変化を日常の中で享受しているのかを炙り出して欲しいと思わずにいられない。

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