2013年9月9日月曜日

「なぜ日本人は学ばなくなったのか」 齋藤孝 2008 ★★★

気がついたら1読書サイクルである4年になっている。文庫100冊、新書50冊。専門書、新書、文庫とサイクルで読み進めていたが、どうもサボリ癖がでてしまい、到底読書力のある生活とは言えないこのごろ。

積みあがっていくのは文庫の中でもカウントされない娯楽小説の類ばかり。これはまずいなと新書の数を増やすためにも手にした齋藤先生の新しい本。どうもかなり怒ってらっしゃるようである。そしてひたすらに耳が痛くなる一冊である。

それにしてもこの齋藤先生。もう何年もテレビで見続けているが、知識人という枠の中で常に必要とされるということは、次から次へと出てくる新しく面白い人材がいるなかで、それでもやはり齋藤先生だと言われる何かの理由があるのだろう。それはこの本で書かれている飽くなき向上心であり、総合的教養に支えられた人間性なのだろうと勝手に想像を膨らませる。

生命の宿命として、個体は必ず死を迎える。これは避けられない。誰でも必ず死ぬ。その個体として、自らの一生の中でも身につけた生きていく為の知識や経験を如何に同じ種の仲間に伝えるられるか?その術をもった種は生存競争の優位に立つことになる。その方法は当然の様に伝達による。そして知恵や経験は言葉に置き換えられ時間を超える。それを受け止めるのは「学び」。つまり学ばなくなった個体は、生物としてというよりも種としての生存本能を失ったことと同義である。そんなことを思いながら読み進める。

線が引かれた部分をメモにするために目次をネットで探すが、この本はどこを探しても検索に引っかからない。しょうがないので諦めて自分で打ち込むことにする。妻からもらったペーパー・ウェイトを役立てながら、章題から見出しを打ち込んでいくだけで、十分に耳が痛くなる内容。

日々の生活に汲々としていた時期に手にした本で、耳を痛くしながらもやはり再度の教養だと突入したはずの読書力のある生活。それにもかかわらず、現在の本棚に並ぶのは背表紙に何の個性も表さない小説と呼べないような娯楽文庫の山と、緊張感を持った読書から逃げ出すように途中で投げ出されっぱなしの専門書コーナー。ああ、恥ずかしい。

大学で学生を相手にする時期は、新年度が始まる前に知識の更新時期だとし、2月から3月にかけて大量に購入する建築関係の本と、時代を読み解く新書と、世間を賑わせる文庫。それらを短期に詰め込んで、準備をして向かえる新学期。学校に誘ってくれた恩師の「出来る限り勉強してくれ」というプレッシャーに対峙するための自己防衛。

社会無くして語ることが出来ない建築だからこそ、社会に目を向けない建築家がいない様に、出来るだけ幅広く現代を知るのと同時に、齋藤先生はじめ尊敬する知識人の読んでいる本を調べては、様々な分野に手をつける。

始めは浅く広くと。そして一部から深く掘り進める。ある一定の深さになったら、そこからまた横へと広げていく。そして徐々に立体的な知識の空間を構築する。そんな身体的感覚を伴った読書体験。

人は堕落する生き物であるのは当然で、読書は本来快楽であるはずなのに、読まなくなるのもまたすぐに日常へと組み込まれる。それが人間の適応力。「読んだほうがいいよ」と妻に薦め、「どう、耳痛くなってきた?」と痛みを共有しようと試みる。さぞや自分よりもキツイ痛みだろうと想像していたが、どうもあまり応えていない様である。しょうがないので堕落した自分の姿に一人で向き合うべく、耳を擦りながらも下記の本文をパソコンに打ち込むことにする。

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「バカ」とは、もちろん生まれつきの能力や知能指数ではない。「学ぼうとせずに、ひたすら受身の快楽にふけるあり方」の事だ。

学ぶ意欲とは、未来への希望と表裏一体だからだ。学ばない人間、向上心をもたない人間は、自分の明日を今日よりも良い日だと信じる事ができない。「生きる力」とは、「学ぶ意欲」とともにあるものだ。

当たり前の話ですが、人は勉強しなければバカになります。

何かに敬意を感じ、あこがれ、自分自身をそこに重ね合わせていくという心の習慣がごく自然に身についていた

まず自分より優れたものがあることを認識し、それに対して畏怖や畏敬の念を持つこと

ところがある時期を境にして、日本には「バカ」でもいいじゃないかという空気が漂い始め、もはや「あこがれ」という心の習慣自体がありません。学び続ける精神や教養への敬意はないし、学ぶべき書籍や教科書の価値も分からない。それに教えてくれる先生への畏敬の念もない。

ひたすら水平的に「何かいいものは無いか」「おもしろいものはないか」と探し回っているだけの自分探し。

読書の時間とは、著者が自分ひとりに語ってくれる静かな時間であり、それによって自分を掘り下げる時間である。

リスペクトと言う「精神のコスト」をかけずに得られるものは、所詮「それなり」でしかない。

いわば知性のないこと、あるいはそれを逆手にとって開き直る姿が、「強さ」として映るような時代になっている

人間の心の潤いというものは、尊敬や憧れの対象をもてるかどうかで変わってくる

外の情報を検索し、活用し、快適な暮らしをするだけの存在としか捉えられない

親元を離れ、食事も選択も自分でやらなくてはいけないという状況自体が、大学以上に人間としてのステージをクリアする事であった。「上京力」。上京への憧れ、プレッシャー、孤独感、負けん気、誇りと意地。緊張感のある向上心を生み出していた。

競争には参加せず、自分の実力を高める努力は避けつつ、一方で「君はユニークだ」「唯一無二だ」「資質がある」とほめてもらいたい。都合のよい欲求。

授業は授業料の対価としてのサービスとする学生と消費者(学生)優位に陥る大学の逆転現象。浅く短い学生生活を終えていく。一体彼らはいつ勉強したといえるのか。

知的な本を読む習慣さえ持っていません。軽い読み物ばかりです。小説ともいえない通俗小説やマンガ。

大学で学んだことを語れなければ、大学を出た意味がない。基本的な向上心と言うものは、読書量に現れます。学生時代に本を読む習慣を身につけないと、社会人になってからはなおさら読みません。

未来のタイムスパンは短期化している。無定期、無期限の夢だけを見て今を生きる。

いつまでも自分はフリーでありたい、モラトリアムな状態に置いておきたい。自分ひとりの自由。社会的な責任を負いたくないと短絡的に発想する。

学ぶと言う事は、たんに知識を獲得するだけの行為ではない。そのトレーニングを通じて、わからないことや大量の問題に立ち向かっていく心の強さを養っていく事

ウォークマンの出現により、自分自身の快適な空間を持ち運べるようになった。音楽は麻薬に似ている。音楽を聴くには努力も才能も徳も不要。要するに努力しなくてもエクスタシーを味わうことができる。地道な努力の果ての達成感、それは登山のようなもの。誰でも易きに流れやすいもの。「気持ちいいことが好き」。

アメリカのヒッピー文化。家から離れ、若者だけで漂流し、さまざまな人と出会い、コミューンと呼ばれる集団生活を行うというライフスタイル。

異性関係における若者の評価ポイント。イケメンかどうか。見た目が良いか。見た目が欧米人に近いことを重視する。

経営者の場合、強靭な精神が求められます。一般の人には考えられないほど、心身ともに疲れる激務です。途中で休むとか、具合が悪いから誰か交代してと投げだす訳にはいきません。自分自身がぶれない中心と言うものを持っている、あるいは判断力の基礎を養っているという自身があれば、それを原動力としてさまざまな障害を乗り越える事ができる。

自分の成功や快適さより優先すべきものがある。人としてどう活きるべきかどうか指針を持つ。

読書にかぎらず、高い山の切り立った崖を登るような努力やエネルギーを必要とする事は、若い頃に経験しておくべきなのです。

概して人間的にはさして問題ない。しかし、あまりにも本を読まないために、教養がない。したがって読書で知識・教養を得る面白さを知りません。高いレベルのものに憧れ続ける事によって、自分の心を生き生きとさせるという習慣も身につけていません。結局そのまま大学を卒業してしまうのです。

多くは生活に終われ、仕事のみに汲々とする日々を送っています。そこでどうやって心を癒すかといえば、インターネット、テレビ、あるいはSNS。いわば高校の同窓会のような雰囲気を続けている。ネット上では、お互いに追い込み合わないような、ゆるやかな会話が繰り広げられる。そしてお互い安心しあおうとする。

マルクスも指摘したとおり、こうしう文化的なことは経済的な基盤がなければできません。下部構造としての経済活動があって、初めて文化が生まれるということは、世界史を見ても明らかです。一人残らず明日の食べ物に困っていたら、さしもの紫式部も物語を書く余裕は無かったはず。
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一つ一つの段落ごとに猛省をし、せめて今まで読んではそのままになっていたメモを纏めるのから始めようかとカレンダーを遡ることにする。

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本文中で紹介される本や映画など
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栗原彬「やさしさのゆくえ=現代青年論」
石原慎太郎「太陽の季節」
アラン・ブルーム「アメリカンマインドの終焉」
富田常雄「姿三四郎」
福沢諭吉「学問のすゝめ」
サミュエル・スマイルズ「自助論」
サミュエル・スマイルズ「西国立志編」
西田幾多郎「善の研究」 
倉田百三「青春をいかに生きるか」
阿部次郎「三太郎の日記」
新渡戸稲造「自分をもっと深く掘れ!―名著『世渡りの道』を読む」
夏目漱石「こころ」
「きけ わだつみのこえ」
林尹夫「わがいのち月明に燃ゆ」
スタンダール「赤と黒」
バルザック「谷間の百合」
ピエール・ロティ「氷島の漁夫」
マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」
フローベール「感情教育」
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
倉田百三「出家とその弟子」
西田幾多郎「自覚における直観と反省」
和辻哲郎「古寺巡礼」
倉田百三「愛と認識との出発」
筒井清忠「日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察」
森見登美彦「太陽の塔」
ハイデッガー「存在と時間」
渋沢栄一「論語と算盤 」
ジョン・スタインベック
ウィリアム・フォークナー
フランシス・フィッツジェラルド 
アーネスト・ヘミングウェイ
ジャン=ポール・サルトル「嘔吐」
ジャン=ポール・サルトル「存在と無」
九鬼周造「「いき」の構造」
和辻哲郎「風土―人間学的考察」
レヴィ=ストロース「野生の思考」
下村湖人「論語物語」

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目次
序章 「リスペクトの精神」を失った日本人
・バカを肯定する社会
・垂直志向から水平志向の世の中へ
・「検索万能社会」であらゆる情報がフラットに
・大学教授を引きずり下ろすテレビの性
・「内面」のない人間があふれ出す
・「ノーリスペクト社会」の病理


第1章 やさしさ思考の落とし穴
・濃い交わりを避ける学生達
・幼稚化する中高生
・「知」と出会わずに卒業していく大学生
・読書量の減少は向学心の衰退
・自ら転落していく若者達
・経済より深刻な「心の不良債権」
・「夢」しか持てない30歳代アルバイター
・若者はなぜ「やさしさ」に目覚めたのか
・「やさしさ」と「自由」の相関関係
・社会へのアンチテーゼとしての「やさしさ」
・「心の不良債権」の処置を
・「ゆとり教育」こそ元凶だ
・「偏差値教育」のどこが悪い?
・世界に比べても学ぶ力が落ちた日本の子供
・「モンスター・ペアレンツ」が子供に与える影響
・公立小学校の授業と教科書のレベルを上げよ
・将来の格差を是正する為に、今できる事

第2章 学びを奪った「アメリカ化」
・「アメリカ化」する若者達
・教養に対して「ノー」を表明する国・アメリカ
・ロックで簡単に得られる快感
・「性の解放」が日本にもたらしたもの
・「教養主義」はいつ没落したか
・ヒッピー文化が再興した「身体論」
・「中身」より「見た目」重視へ
・憧れの対象は白人文化から黒人文化へ
・アメリカ文化の優れた部分は導入せず
・精神の柱を失い、金銭至上主義へ
・広がる格差、崩れる信頼関係
・「学び重視」から「遊び重視」への大転換

第3章 「書生」の勉強熱はどこへ消えた?
・司馬遼太郎はなぜ「書生」にあこがれたのか
・「姿三四郎」に見る師匠と書生の濃すぎる関係
・「深交力」があればこそ
・大家族、居候、書生が当たり前だった時代
・「同じ釜の飯を食う
・学ぶ事が身体的だった素読世代
・明治の文豪は「一家」を背負っていた
・若い時代の「修行」が糧となる
・「書生再興」のすすめ
・「深効力」は人生の醍醐味

第4章 教養を身につけるということ
・旧制高校に心酔して
・哲学的思考を試みるなど垂直願望の生活を送った
・新旧の「世界」の違い
・「わだつみのこえ」の格調高さはどこから来るのか
・独特の「恥の文化」が向学心を生む
・修養主義から教養主義へ
・哲学を学び、思考の基本スタイルを作る
・大学の「一般教養」に忍び寄る危機
・教養の欠落を嘆く人すらいなくなった
・「新しい教養」としてのマルクス主義
・マルクス主義に予見されていた今日の日本
・「徳育」教育への期待
・倫理観を再興するための「読書力」
・「迂回」を知らない社会の脆さ
・現代恋愛事情が生み出した虚無感
・お金の使い方にも本来は教養が必要

第5章 「思想の背骨」再構築に向けて
・責任は中高年世代にある
・薄い人間関係を志向する若者達
・「パノプティズム」に陥った日本
・「コーチング」が流行する裏側
・早期退職する若者達の悪循環
・読書とは自分の中で行う他者との静かな対話
・「無知ゆえの不利益」に気づけ
・実在主義の「投企」に生きる意味がある
・「ポストモダン」で思想は終焉した
・思想なき世をいかに生きるか
・「ガンダム=世界観の全て」の恐ろしさ
・思想的バックボーンが溶解した日本
・「学び」へのリスペクト導火線に火をつけて

あとがき 次代へのメッセージ
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