2016年2月16日火曜日

南宮大社(なんぐうたいしゃ、美濃国一宮) (伝)初代神武天皇33年 ★★★


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所在地  岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
主祭神  金山彦命(かなやまひこのみこと)
社格   式内社(名神大)・旧国幣大社・美濃国一宮・総本宮
本殿の様式 南宮造
創建  不詳
機能  寺社
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「ご飯はまだか?ご飯はまだか?」と詰め寄るように訪ねてくる妻に対し、「次の神社は一宮だから、その周りに美味しいお蕎麦屋さんでもあるはずだから、そこまで行ってしまおう」となんとかなだめながら養老山地を左に見ながら北上する。

ところどころ山の麓、少し町から離れたところにかなり大きく新しい施設が建っているので、「何だろう?」と注視していると、やはり高齢者用のケアハウスなどの施設のようである。それもかなりの数が見えるので、このような環境が良く、かつ街から少し離れた場所に、今までの社会に無かった新しい施設がドンドン建っていくのが、これからの日本の風景になっていくのだろうと思いながら細い道を抜けて到着したのが美濃国一宮である南宮大社(なんぐうたいしゃ)。

駐車場の前に、如何にも雰囲気の良いお蕎麦屋さんがあったので駆け足で見に行くと、「本日休業」の看板・・・。「まずいな・・・」と思いながら出てきた方に聞いてみると、やはり営業していないと。他にも開いているお店はないというので、何とも言えない気持ちで車でまつ妻と両親へ報告へ。拝を済ませて、大垣方面に向かう途中でランチをしようということになり、時間も13時回り、お店が閉まってしまうかもしれないからと、少し駆け足で参拝することにする。

飛騨と美濃に分けられる現在の岐阜。その美濃国の一宮であるのがこの南宮大社。現代において都市化が進む市街地に位置することもなく、自然に囲まれたかなり広い敷地を持つ神社である。それと同時に、金山彦命(かなやまひこのみこと)という鉱山の神として信仰される神を祭神とし、全国の鉱山・金属業の総本宮として位置づけられているという。

ここから西に向かえば関ヶ原の戦いが行われた現在の関ヶ原町があり、1600年に起こった天下分け目の大決戦である関ヶ原の戦いで社殿が焼失してしまったために、第3代将軍の徳川家光が1642年に再建したという。

四方を見渡しても豊かな緑が広がる背景に朱色が鮮やかに写る水平に広がる境内。中央に位置する高舞殿をぐるりと巡って拝殿に手を併せ、「境内後方のうっそうとした杜の奥にひっそりと位置しているであろう南宮稲荷神社に参拝するのが本当の目的なのだ」とは、昼食にいまだにありつけずプリプリしている妻に向かってはとてもじゃないが言い出せず、いつかまたゆっくりと参拝し、幽玄な杜の中を巡って参拝しに戻ってこようと心に決めて境内を後にする。








楼門


高舞殿


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