2016年2月11日木曜日

風の丘葬斎場 槇文彦 1997 ★★★★


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所在地  大分県中津市大字相原
設計   槇文彦
ランドスケープ オンサイト計画設計事務所
施工   飛鳥建設
竣工   1997
機能   火葬場・斎場
規模   地上2階
建築面積 2,514m2
延床面積 2,259m2
構造   RC造・S造
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第11回 村野藤吾賞
1998年(第39回) 建築業協会賞(BCS賞)
2002年度 公共建築賞優秀賞
2003年度 グッドデザイン賞金賞(ランドスケープデザイン)
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事前に訪問の予約を入れていたので、なんとしても時間通りに辿り着かないとと、途中予定していた他の訪問地を飛ばして向かったのが日本で建築を学んだものなら一度は足を運んで見たいと夢見るこの風の丘葬斎場。

時間通りに到着して訪問の旨を伝えると、多くの来訪者があるのが感じられるように、非常に快い対応をしてください、案内を渡される。昨日としては市営の火葬場と斎場ということで、他の家族と鉢合わせにならないように、動線は一筆書きで回れるようになっており、島根県立出雲歴史博物館でも使われていたコールテン鋼パネルによる入り口サインの脇を通って、火葬棟から巡っていく。

「死」と向き合い、大切な人を送り出す場所として、静謐な光と闇の感じられる空間が大きさを変えながら迎えてくれる非常に素晴らしい空間の連続。線と面がそれぞれの接する場所で様々な処置により見切られ、要素として独立し、様々な表情の光を内部に取り入れる。外部の人工性の感じされる風景は決して見えることなく視線を制御され、動線を巡るにつれで、徐々に奥に奥にと誘われる感じ。

火葬棟を抜けると木の内装で落ち着いた雰囲気の待合棟。それぞれのコーナーに、人がどう触れるか、どうあれば移動を助けるのかを感じさせる様々なディテールがアクセントをつけている。そしてこの中心にはかの有名な階段が鎮座する。

先に進むと左手に古墳を含む広大なランドスケープが広がる。そちらから見るとこの建物自体がある種の古墳の様に、風景の中に溶け込んでいるのがよく分かる。ランドスケープ・デザインを手がけたのは島根県立出雲歴史博物館でも協同することになるオンサイト計画設計事務所。

ガラスのルーバーを左手に見てさらに進むと、突き出したキャノピーが空間への入り口を指し示し、促されるままに内部に入ると高さを持った斎場が広がる。天窓と足元だけの外光により、最後のお別れと行う場所として浮遊感を与えてくれる。一人でこの空間を巡れることは非常に幸せなことだと思いながら受付に挨拶をして建物を離れる。

槇文彦氏の作品を見てみると、40年以上の実務の後に手がけられた作品だというのが見て取れる。

1969年 代官山集合住宅(ヒルサイドテラス)第1期(41歳)
1973年 代官山集合住宅(ヒルサイドテラス)第2期(44歳)
1985年 スパイラル(57歳)
1989年 テピア(61歳)
1989年 幕張メッセ(61歳)
1990年 東京体育館(62歳)
1997年 風の丘葬斎場(69歳)
2003年 テレビ朝日(75歳)
2013年 フォー・ワールド・トレード・センター(85歳)

これだけ濃密でありながら、過剰な表現にならず、なおかつ風景に溶け込み、そして葬祭場としての機能を見事に果たしている姿を見ると、数十年後にこれほどまでに建築を巧みに操作できるかどうか、学ぶことは沢山あるなと少々嬉しくなりながら宿へと向かうことにする。









































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