2014年2月3日月曜日

島根県芸術文化センター 内藤廣 2005 ★★★★


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所在地  島根県益田市有明町
設計   内藤廣
竣工   2005
機能   美術館・劇場
構造   鉄筋コンクリート造・一部PC造+鉄骨造
敷地面積 36,564㎡
建築面積 14,068㎡
延床面積 17,800㎡
別称   グラントワ Grant Toit
舞台音響 唐澤誠建築音響設計事務所
サイン  矢萩喜從郎
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BCS賞受賞
2010年 公共建築賞受賞
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既に関東では雪が降り出し、記録的といわれた大雪で都市機能が麻痺した雪模様もこちら山陰地方にも影響を及ぼしだし、随分と下がってきた気温の為に周囲には霧雨のような細かい水滴が漂うような天候になってきた。

今回の旅行が横に長くなってしまった大きな原因の一つがこの現代建築。最近日本で巡礼に出かけると、必ずところどころで出くわすことになるこの建築家の作品。今回はこの建物を見たいが為にわざわざ島根の西の果てまでやってくる事を決め、それに付随して雪舟庭園などがこの地にあることを発見することになる。

その建築家とは、今「日本の建築家」と言えば必ずその名が挙がると思われる「内藤廣
隈研吾SANAAに比べて海外での活動はそれほど頻繁ではないので、海外での知名度は日本のそれに比べたらそれほどではないと思うが、今の日本の建築界に大きな影響力を持ち、昨年の新国立競技場問題でも主役の一人として立ち回った人である。

その絶好調はGA年末特集でも2013年を総括し、「こぶしが利いてる」や「隈の時代」などと、独自の表現方法で好き放題言い放っていた、気さくで文化的な総合知の建築家を印象付ける良識の建築家であろう。

その来歴をみてみると、早稲田大学大学院にて吉阪隆正に師事をし、スペインに渡りフェルナンド・イゲーラスの元で働き、帰国後は今後は菊竹清訓の元でキャリアを積みその後独立。独立後は下記代表作を定期的に造り続けている。

1992年 海の博物館(三重県)(42歳)
1997年 安曇野ちひろ美術館(長野県)(47歳)
1999年 十日町情報館(新潟県)(49歳)
1999年 牧野富太郎記念館(高知県)
2002年 フォレスト益子(栃木県)(52歳)
2002年 ちひろ美術館・東京(東京都)
2005年 島根県芸術文化センター(島根県)(55歳)
2006年 二期倶楽部 七石舞台【かがみ】
2006年 とらや御殿場店(静岡県)(56歳)
2008年 日向市駅と駅前広場(宮崎県)(58歳)
2009年 高知駅(高知県)(59歳)
2011年 旭川駅(北海道)

そう見ると、この島根には東から内藤廣の師匠に当たる二人、菊竹清訓と吉阪隆正の作品が立ち並び、島根の現代建築の系譜の東から西への軸の最期の地に、その師匠の教えを受けて自らの建築を作り上げてきた内藤廣が代表作となるこの島根県芸術文化センター(グラントワ)を設計することになるとは、流石は一流の系譜だと思わずにいられない。

それと同時に、その作品を見ているとふと思う。

伊勢神宮 三重県 海の博物館 40代
出雲大社 島根県 グラントワ 50代

日本でこれほど幸せな建築家がいるであろうかと思ってしまう。この国に流れる神域の空間の近くで現代の公共の場となる建築を作る機会を得ること。出張にかこつけて好きなだけ聖域巡りが出来ることも当然だが、それだけ上質な空間を日常の中に持っている人々が足を運ぶような建築をつくり、ある意味日本の神域空間に堂々と挑戦できること。伊勢と出雲。二つの場所で壮絶な闘いを繰り広げたボクサーの様な感じか。

そんな建築家の作品リストを眺めながら、「次は高知で牧野富太郎記念館か高知駅だろうな・・・」と思いながら到着して駐車場から歩いて建築にアプローチしていくと見えてくるのが、太陽光に反射した外壁に使用された赤茶色の瓦の数々。

この建物を語る上で何よりもまずあがってくるのがこの瓦。この益田に限らず、山陰地方を車で回っているとところどころで特徴的な街の風景を目にすることが出来る。それが日本家屋の屋根に被せられた特徴的な赤茶色をした石州瓦(せきしゅうがわら)。

「形態デザイン講義」 などの著書でも語られているように、石見地方の特産であるこの石州瓦は、その焼成温度が1200℃以上と高いため凍害に強く、日本海側の豪雪地帯や北海道などの寒冷地方で広く使われている瓦であり、三州瓦、淡路瓦と共に日本三大瓦の一つとなっている瓦である。もちろん、その名前の石州(せきしゅう)とはこの地方の石見国の別称である。

建築を外的要因から守る最たるものである瓦。100年単位でこの街の文化を支えていく施設であるならば、その耐久性も相当に長いスパンを考慮するべきだということで、この地方の街並みを形成してきたシンボルでもある屋根瓦を壁面に使用して耐久性を獲得しようというアイデアを採用したこの建築。

屋根瓦12万枚、壁瓦16万枚で、壁面にこの瓦を使った建物は初めてだという。ここまでに訪れてきた集落などでものすごい普通だけど、ちょっと違う風景を作り出してきた建築要素こそが瓦。屋根を覆う一つ一つのモデュール。真っ黒な瓦を持った豪勢な日本家屋に対し、その横に赤茶色の屋根を持った光を反射する屋根達。それがまるで勢力を争っているかのように、黒と赤茶のオセロを展開する山陰地方の風景。

それがこの益田の地で、一気に赤茶の優勢が決定されたかのように、目の前に垂直に広がる赤茶の壁面。その一つ一つのモデュールが、なまめかしい曲面を持ち、光の波動性を証明するかのように太陽に光をキラキラを反射して出迎えてくれる。

自然素材である為に大地との相性は抜群で、この場に何百年も居たのではないかと思えるような佇まいを見せてくれる。そんなことを思いながらエントランスにアプローチしていくと、恐らく地域の高校生と思われる集団が何やらイベントがあるらしく、その流れに紛れながら建物に入っていくことにする。

ここまで訪れた現代建築は、これという強い空間が見受けられるものが少なく、なんともつまらないものが多かったが、この建築はその点楽しめる空間が非常に多い。建物の中に様々な場所がある。その中心となるのが目の前に広がる中庭。

その前には外部と中庭を、そして各プログラムを繋ぐ回廊。ギャラリー・スペースである。天井高さに対して、中庭に向けての視線をコントロールすべく低く抑えられた庇の高さ。そのお陰で中庭を眺めると、水盤を囲む四方のボリュームの足元に、細い長い陰の黒い空間が横たわる。まるで建物が浮かんでいるかのような深い陰を作り出す。

建物にアプローチしてまずその出迎え。心の中では確かに感じられる高揚感。悪くない。その中庭の中心に添えられるのは、水深の極めて浅い水盤。池というより、数ミリの水の膜。水という求心性を持つ要素を中心に据えることで、この場所が様々な人々へ働きかける効果を十分に理解した建築家の手法である。

それを証明するかのように、先程の高校生の一部の男子グループが、ふざけあいながら水盤に近づき、一人の子がはしゃぎながら走りながら、止まるのだがその勢いのまま水盤の中に滑っていくという遊びをしている。なんともいい風景である。水と雪に縁深いこの地に、また一つ違う水との関係性を作り出したのは流石であろう。 

そんな中庭から目をそらし、エントランスを回廊スペースから見てみると、なんだか曇りガラスかと思ってよくみると、どうも結露が外部に面したガラスの内側に起こり、相当な水分を発生させると共に、かなり視界を遮っている様子である。

回廊空間ということで、長く人が滞在しないからの理由でペアガラスなどを使用しなかったのか、それとも空調システムに問題があるのかは分かりかねたが、「あれ?」と思うくらいだったので、それほど環境というのは扱いづらい要素なんだろうと改めて理解する。

そしてもう一つ気になったのは、回廊の床材。花梨(カリン)を採用したと書かれているが、振り出した雨の為もあり、かなりツルツル滑って足元が滑る。その原因でもありそうなのが表面のコーティングだが、これもかなり厚めに施されている為か、反射が激しく照明が映りこんでしまってなかなか目に優しくない設計となっている。

そんな訳で高校生の様に「ツーーー」と滑っていける訳もなく、少々おっかなびっくりで回廊を進み、複合されている二つの文化施設のうちの一つ目、「島根県立石見美術館」に辿りつく。訪れる前にはどういう運営の仕方か分からなかったが、二つの施設が入っている複合施設として島根県芸術文化センターであり、それぞれに休館日や開館時間が決まっているということだというのを理解する。

観覧料は企画展で一般1,000円、コレクション展で1,150円だというので、「流石に二つは高い」なということで、観覧貧乏になってしまうので企画展だけにして、中を見学する。


今まで知らなかった作家の作品を目にすることもまた、こうして建築を廻る楽しみの一つであると改めて実感しながら、やや足早に展覧会を見て回る。美術館を出てみると、その前にはミュージアム・ショップだと思われるが、どこかの教会の様なアーチに覆われたとても心地の良い背の高い空間に出てくることになる。上空から降り注ぐ光のした、受験勉強か、一人で机に向かう高校生の姿がなんとも神々しく見えてしまう。

更に回廊を廻っていくと、今後はもう一つの文化施設である「島根県立いわみ芸術劇場」が見えてくる。今までの品の良い表情とは打って変わって、目の前に立ち上がるのはホールを包み込む折板で打たれたコンクリートの巨大な塊感。先程見てきた吉阪隆正のゴツゴツした大地のような表現を思い出させるのに十分な迫力のあるコンクリートの表現。ホールと言う角度を持った内部空間に対し、そのホワイエとなる後ろにまとわりつく空間にどう内部を表現させるかはどんな劇場建築でもテーマとなるであろうが、暗いホワイエにうっすらと浮かび上がるコンクリートの塊。そしてそれを取り囲むように上昇する階段とそれをナビゲートするかのように上空に浮かぶ美しい照明器具。

「これはいい」と思いながら、いかにもこれから何かの発表会をします的な雰囲気で、周囲にその発表パネルを張り出している高校生とその教師達。一回りした後に、思い切って「これは一般の人でも聞けるんですか?」と教師に聞いてみると、「どうぞどうぞ」とあっさり中に入れることに。やはり人がいいのは島根の特徴なのか?

「これはラッキー」と中に入り、何かの研究発表会が始まる様子の会場で、現在オペラハウスの現場が動いているだけに、シートの素材や空調方式、暗い中での誘導照明、壁の手すりや落下防止の手すり、反射と吸収の音の問題など、気になっていることをどう処理しているのか、かなり実体験を持って観察する。情報では、約1.8秒(500Hz/空席時)の残響時間が確保されているとなっているが、舞台で準備している学生達の声が聞こえてくるのから、流石に音響環境は良さそうだと理解する。

それにしても、やはり隅々まで綺麗に設計され、施工されて、監理された建物だと感心する。このクオリティを中国で成し遂げるには、一体どれだけの困難をクリアしないといけないかと思いを馳せながら、島根と言う現代日本の周縁に当たる場所でも、これだけのクオリティの建築が作り出せるという事実に少なくない感動を覚えることになる。

ここまで何度も見かけてきた街の規模に対してあまりにも不相応な規模を持ち、それでいながら人々が集い、地域の文化拠点として様々な活動を誘起する可能性に満ちた様々な空間がある建築は見かけられなかったが、訪れる前まではこの建築も、「この益田という都市に対してあまりにも大きな服を着すぎたのでは・・・」と思っていたが、この建築に集まる様々な人々の姿、発表の為に日常の中から少し足を出した高校生達、その引率の教師達、中庭のベンチで読書をする老人、美術館の前で勉強に励む学生、などなど。

一つの都市の様に、異なる層の人間が、異なる目的を持ちつつもこの場所に集い、そして自分とは違った目的でこの場所に集まり使っている別の人たちを視線に捕らえながら佇むことができる、そんな都市の喜びと、文化施設としての心地よさを兼ね備えた素晴らしい建築であろう。

こうして多様な人間を惹きつける事の出来る場所や風景を作り出すのは、どんな派手な建築をつくることよりも、どんな複雑な形態を作り出すよりも、遥かに高度な技であろう。その境地に達する為にキャリアの中で真摯にプロジェクトに向き合い、真摯に建築に向き合ってきた建築家のみが、その言葉に説得力を持ち、クライアントに機能設計の段階で信じる建築の姿を語ることが出来るのだろう。

こうして改めて振り返りながら、再度この建築の良さを実感し、「★」を一つ増やすことにしながらも、自分達の手がけているオペラハウスもこうして、多くの異なる人が日常の中で足を運ぶ場所となるようにと気持ちを引き締めて次なる場所、津和野に向かうことになる。









































































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