2014年2月4日火曜日

奈義町現代美術館 磯崎新 1994 ★★


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所在地  岡山県勝田郡奈義町豊沢
設計   磯崎新
竣工   1994
機能   美術館
構造   RC造、S造
規模   地上2階
敷地面積 7,072㎡
建築面積 1,545㎡
延床面積 1,887㎡
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津山の後に、中国山脈を越えて再度日本海側に戻り、倉吉でモダニズムの建築を巡る予定になっているので、方向的には逆になり時間のロスが大きいので立ち寄るかどうか迷った挙句、本と同様、この機会を逃したら二度と来る事もないだろう、と信じて立ち寄る事に決めたのがこの奈義町現代美術館。

津山市より北東に位置し、住所表記では市ではなく郡というなんとものどかな田舎の風景が広がるエリア。

「この人口6千人の小さな町に、どうしてこれほどの規模の美術館が建っているのか?」と首をかしげずにいられないほどの立派な美術館である。

お知らせ - 施設の概要   奈義町

町のサイトで調べてみると向かいに立つ図書館と合わせて総工費などの情報が公開されている。それによると、美術館部分は総工費が1,174,393,000円。つまり11億円である。

延床面積が1887㎡なので、㎡辺りの予算は622359円/㎡、つまり60万/㎡ということになる。分かりやすく1坪 =約 3.3 ㎡(3.30578 ㎡)の変換を行い、よく使われる坪単価で見てみると坪単価が2053789円/坪となりつまり200万円/坪という計算になる訳である。

この金額がいったいどの様なものかと考える基準に、一般の住宅の平均的予算を見てみると、木造では坪単価45万円。鉄骨造では坪単価70万円。鉄筋コンクリート造では坪単価80万円。鉄骨鉄筋コンクリート造では坪単価90万円と言われるから、美術館という仕様が上がる施設ではそれよりも高価になるのは必然だが、これらの数値の軽く倍以上の予算が投入された町の一大プロジェクトということになる。

ちなみに隣接する赤いボリュームの奈義町図書館も同じく磯崎新の設計で同年に完成している。1931年生まれの氏の代表作を見ていくと、

1960年 大分医師会館 (29歳)
1966年 大分県立大分図書館 (35歳)
1966年 福岡相互銀行大分支店
1970年 日本万国博覧会・お祭り広場の諸装置 (39歳)
1974年 群馬県立近代美術館
1974年 北九州市立美術館
1974年 北九州市立中央図書館
1983年 つくばセンタービル 
1985年 ザ・パラディアム
1986年 新都庁舎コンペ案
1986年 ロサンゼルス現代美術館
1998年 ハラ・ミュージアム・アーク
1990年 水戸芸術館
1994年 奈義町現代美術館・奈義町立図書館 (63歳)
1998年 なら100年会館
2002年 セラミックパークMINO
2008年 深圳文化中心
2008年 中央美術学院美術館
2011年 ヒマラヤ芸術センター

こうしてみると、比較的後期の作品に属することになる。それにしても35歳の若さであの大分図書館を設計していたというのはやはり凄い建築家であろう。

さてこの美術館であるが、1991年に弾けたとされるバブル景気に後押しされた日本全国の自治体による様々な町おこしブームの一環として計画が立ち上がったものと思われるが、その計画案も人口6000人の自治体の計画するものとはとても思えない斬新なものである。

世界的に活躍する3組4人の芸術家、荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子に、一般の美術館の様に、美術館という箱があって、そこのアート作品を展覧会のテーマにそって展示していくという手法ではなく、巨大な作品を制作してもらい、その作品やコンセプトを元にして、建築家が空間を設計するという、その後2004年に直島に安藤忠雄設計で完成した地中美術館も、同じコンセプトによってジェームズ・タレルなどのアーティストの作品のためだけに空間が設計されたりと、世界を見ても数は少ないがこのような「サイト・スパシフィック」な美術館は存在し、そこに足を運ぶ意味を与えてくれるということでかなり成功している。

動けない宿命を持つ建築同様に、他の美術館に貸し出したり、巡回展をしたりという可能性を無くし、あくまでもこの作品を見る為には、この地に足を運んでもらうという潔さが求められる方式である。

それでは、そのこの美術館の為に制作されたアート作品と、そのアート作品の為だけに設計された展示空間とは?と見ていくと、まずは入り口を入ってすぐ右側に宮脇愛子作の「大地」と題されたワイヤーアートが水盤の上をリズミカルに跳ねている。水に跳ねる再度中に舞う水滴を静止させたように、何本ものステンレスのワイヤーが宙を3次元に飛び交うよう様子を左手に眺めながら先に進む。

その先の通路を右に曲がれば荒川修作+マドリン・ギンズ作による「太陽」と題された作品。外から見ると建物前のランドスケープに円筒形のボリュームが斜め上を向いて置かれているのがこの美術館の代名詞ともなっているが、まさにそのボリュームの正体である。狭い螺旋階段を上がっていくと、内部もそのまま斜めになった円筒形になっていう空間にでる。円筒形に沿うようにして曲げられた風景のなか、両方向に水平を奪われた身体が不安定な中で円筒の先に張られた膜を通して降りそそぐ外光を浴びる形となる。

少々フラフラしながら階段をおり、最後に向かうのは岡崎和郎作による「月」と題された作品。そのタイトルどおり、三日月形の平面をした空間はかなり天井を高くとられ、壁面は漆喰によって白く塗られており、スケール感を奪われる。窓も何もなく、ただベンチが置かれ、自らの身体が発する音、足音や息遣いなどが反響として身体に跳ね返ってくる空間となっている。かつてコルビュジェのロンシャンの教会でも感じた楽器の中に入り込んだような音を感じさせる建築空間となっている。

そんな訳で展示空間としてはこれ以上ないくらい贅沢なものになっている。あらかじめどんな作品が恒常的にそこに展示されるか分かっており、アーティストと建築家がその作品の意図をよりダイレクトに伝えるためには空間も含めてどんな展示方法にしたらよいかをワークショップを重ねて折衝できる。そしてそれを実現させる潤沢な予算。

どんな経緯でこの美術館の設計が発注されたかは分からないが、国や地域が経済的にも極めて恵まれ、そして関係者が国際的なアートの文脈を理解し、同じビジョンを共有するという様々な要因が重なることでしか実現できない建築であるのは間違いない。恐らくこのような美術館が自治体主導で作られる事は今後の日本においてはほとんど無く、あるとしたら、100周年を超えた企業ミュージアムやコレクター個人美術館という形でしかあり得ないのではと思う。

残念ながら、ついに降り出した雪と急激に下がってきた気温のため、一歩外にでると横から降り付ける冷たい粉雪に体温を奪われ、とてもじゃないが周辺を歩いて建築を見ることができなくなり、隣に隣接する図書館の見学を諦め車に戻り、中国山脈を越えて日本海側に戻る事にする。





















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