2013年7月26日金曜日

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) 不詳 ★★★★



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所在地 京都府京都市左京区下鴨泉川町
主祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと),賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)
通称  下鴨神社(しもがもじんじゃ)
社格  二十二社(上七社),式内社(名神大),官幣大社,勅祭社,山城国一宮
創建  不詳
機能  寺社
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世界遺産
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相国寺から橋を渡ってすぐ右に入ると見えてくるのが通称下鴨神社(しもがもじんじゃ)と呼ばれる賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の表参道入り口。その前の駐車場に車を停めて駐車場代の300円を支払い参道へ向かう。

「一体どこまで続いているのだろう・・・」と思うくらいのまっすぐな参道。両脇を大きな木々で覆われてその歴史の長さを物語る。なんでも、境内は糺の森(ただすのもり)と言われるうっそうとした森の中にあり、その広さは約12万平方mという。航空写真を見ても良くわかるが、周囲が開発されたあとは細長い森がいかにも人工性を物語るが、この入り口より約1kmの参道を歩いていく。

参道を少々北に進むと、まず左手に見えてくるのが境内摂社である河合神社(かわいじんじゃ)。独立した神社だと思うくらい立派な門構えだが、これも賀茂御祖神社の摂社の一つ。祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、創建は不明。この玉依姫命が女性の守護神であり、美人祈願の社として知られているという。

面白いのが通常の絵馬ではなく、鏡絵馬と呼ばれる手鏡の形をした絵馬に自分の似顔絵を描いて奉納するらしく、境内には様々な女性の「美人になれますように・・・」という願いが込められた沢山の笑顔を見ることが出来る。

そしてもう一つ。ここ河合神社は「方丈記」の鴨長明ゆかりの神社。なんでも長明は賀茂御祖神社の神職の子として生まれたという。そして日本各地を移動する時に棲家としたのが、組み立て式に簡易な「方丈」。その大きさは一丈四方(約3m四方)であることから「方丈」と呼ばれたという。それが土台の上に柱を立てて作られている。

『行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかももと(本)の水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とど)まる事なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。』

と、周囲の自然と共に変化していく建築の在り方を提唱している。境内ではその方丈の再現された姿を見ることができる。その方丈をじっくり観察し終え再度参道へ戻り、北上し、暫く歩いて到着するのが賀茂御祖神社の境内入り口に立つ大きな朱色の鳥居。

京都と言えば鴨川。賀茂川なのか鴨川なのか非常に分かりにくいが、元々は鴨氏という豪族にちなんで鴨川と呼ばれていたという。歴代それぞれの流れの場所により、鴨川、賀茂川、加茂川と呼び名を変えられていたと言う。

それを現在では高野川合流点、いわゆる賀茂御祖神社つまり下鴨神社が位置するところより上流を賀茂川、下流を鴨川と呼ぶようにしているという。なんとも複雑な・・・と思わずにいられないが、兎にも角にも京都を代表する神社であるこの賀茂御祖神社。上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けていたというわが国最古の神社の一つである。

朱色の鳥居を抜けると境内には落ち着いた濃い茶色の社殿が待ち受ける。中門を潜ると弊殿の前に十二支を祀る「言社(干支社)」があり、二つセットで祀られている干支が妻と自分の干支のセットになっていたので、一緒に賽銭を投げてお参りをする。

国宝である東西本殿を探し歩き、他にも本当に多い境内の社殿を廻ってみて回るとあっという間に時間が過ぎてしまう。今回は上賀茂神社には立ち寄れないが、それでもこの下鴨神社に足を運ぶことが出来て少しは京都の神域を感じられたことに満足し、また木漏れ日の気持ちよい長い参道を戻っていくことにする。






































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