2013年7月26日金曜日

相国寺(しょうこくじ) 1382 ★★


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所在地 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町
山号  萬年山(まんねんざん)
宗派  臨済宗相国寺派
寺格  大本山、京都五山2位
創建  1382
開基  足利義満、夢窓疎石(開山)
機能  寺社
文化財 無学祖元墨蹟(国宝)
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百寺
京都五山 第二位
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ランチで思いのほか満足をし、すっかり満ち足りた気持ちで午後の部へと向かう。朝に出会ったおじいさんに薦められたので、リストから漏れそうになっていたがせっかくだからと立ち寄ることにしたこの相国寺(しょうこくじ)。

「駐車場は・・・?」と係りのおじさんに聞いてみると、「中に入ってあそこの道を左に行ってもらうと、右手に見えてくるから」と境内の中まで車で入れるほどの広さ。せっかくなのでと行きかう自転車に気をつけながら、承天閣美術館の駐車場まで車を進める。

この相国寺だが、臨済宗相国寺派の大本山。一体ここまで何度、「臨済宗○○寺派の大本山」と書いてきたかと思わずにいられないが、金閣寺(鹿苑寺)や銀閣寺(慈照寺)もこの相国寺の山外塔頭であることで、どれだけこの寺の勢力が巨大であったか理解できるだろう。
 
開基はなんと足利義満で、開山(初代住職)は夢窓疎石というスーパースター揃い。もちろん室町時代を通して足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかり深かった禅寺である。そして京都五山の第2位に数えられている押しも押される古刹。

義満は最初、自身の禅の師匠である春屋妙葩(しゅんのくみょうは)に開山(初代住職)になってくれるようにと要請するが断られる。しかし妙葩は「夢窓疎石が開山となるなら、喜んで2世住職になる」というので、義満は夢窓疎石に開山就任をお願いする。

これを聞くだけでも、妙葩の母方の叔父であったという夢窓疎石が一体どれほどの人気者であったか想像に難くない。禅僧としてだけでなく、作庭家としても歴史に名を残し、現代まで残る名庭園を日本中に残した疎石。何かに秀でる人間は、他のことをやっても見ているものが違うのでやはり秀でてしまうのだということか。

相国寺は五山文学の中心地であり、画僧として有名な周文や雪舟(せっしゅう)もまた相国寺の出身という。雪舟といえば、雪舟庭と言われる庭園を疎石同様日本中に残した禅僧でもある。

地元の人と思われるおばちゃんが、ママチャリに乗りながら境内を走っていく。恐らく夜になっても門が閉じられることは無く、地元の人が当たり前の様に通り抜けて行く場所になっているのだろうと想像する。

こうして当たり前の風景としてこの場所に溶け込んでいる境内を見ると、時代は変わり生活スタイルも変容していくにも関わらず、この境内の風景は変わることは無いけれど、周囲の変化を吸収しながら微妙に意味合いを変え、調整するかのように今の時代を生き抜いていく。そんな長い歴史を持つ場所のしたたかさを見るようでなんだか嬉しくなって次の目的地へと車を発進させる。







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