2013年7月27日土曜日

「闇の底」 薬丸岳 2009 ★★

人が生きる社会の秩序維持と当事者になった本人の感情との葛藤や矛盾を抉るように描きだす著者の作風。前作では、「天使のナイフ」で更正を目的とするか、大人同様に刑罰の対象にするかで揺れ動く「少年法」と少年犯罪に光を当てた。

そして本作で光が当てられたのは、ネットの普及に比例するように留まるところを知らない「小児性犯罪」。児童ポルノなどに対する規制は進められるが、それでも日常的に報道されるようになった子供に対する暴力や性的虐待。

子供への性犯罪が発生するたびに、その抑止策としてかつてのフランスの首切り処刑人の名前からとられた「サムソン」と自らを呼ぶ男が、かつて性犯罪を起こした人間を一人ずつ殺害し、その映像を警察やメディアに送りつけてくる。その恐怖による抑制。

私人が人を裁くという法治国家では許されない行為に関わらず、一定の抑止力を発揮し始めるサムソン効果。そしてそれが法的には悪だと分かりながらも、市民の心の中では、「それでもこれで醜悪な犯罪が減るのであれば、それはそれでいいのかも・・・」という葛藤。

それに対して置かれるのは、法治国家をならしめる警察組織。犯罪者を逮捕することはできても、警察は犯罪を止められないじゃないかという葛藤。そしてその警察の中でサムソンを追う立場に置かれるのは、自らもかつて妹を児童性犯罪の被害者として亡くしている長瀬。

前作同様、作者はこの一般論と感情論の操作が非常に巧み。画面の外から見ている立場なら迷うことなくいえる意見が、自らが本当にその立場に立たされたら、一体どんな感情に晒されるのか?

デスノートの「キラ」が行う裁き。一定の正義に乗っ取って行われているその行為によって、社会にある種の秩序がもたらされたとしても、それは私人である限りにおいて、大量殺人であることに変わりにはなく、それが今作同様に普遍の一般論と感情論を揺り動かすからこそあれほど受け入れられたというのは理解に難くない。

ネットの登場によって、私人による感情に突き動かされた裁きがより容易になっていく世界。それだからこそ、より守る方向に振れていくだろうと想像されるかつての犯罪者の人権。「更正」という決して外からは真実をみることができない人の心。

だからこそ、今後より難しい問題が出てくると想像されるこの問題。

人を殺したらなぜいけないのか?
では、あなたは愛する娘が殺されたらどうするか?
その根本的な答えを子供にどう教えていくのか?
自分は司法の捌きを受けると分かりつつも、それでもその犯人を殺害する
という人に対してどう向き合うのか?

うらみは恨みを生むだけであるのは間違いなく、それは社会に対してなんの利益を生み出さない。それならば被害者遺族が納得できる刑罰をいかに更新していくのか。深い深い人間の心の闇の底を見せられた気がする一冊である。

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