2013年7月26日金曜日

虎屋京都店 内藤廣 2009 ★★★


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所在地 京都市上京区一条通り烏丸西入る
設計  内藤廣
竣工  2009
機能  レストラン
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現代京都の中心と言えば御所。京都に住まう人の多くが、「江戸に出かけてらっしゃるから」とその留守を強調する。帰るべき場所としての家。

元々は内裏の外に位置する邸宅であった里内裏(さとだいり)の一つである現在の御所。内裏の焼失に伴い最終的に現在の場所に落ち着くことになるのだが、かつては御所を中心に広大な森が広がっていたであろう風景を思わせるように、現代の御所は巨大な木々で覆われる。

江戸に居を移された後の近代化に伴う開発によって、徐々にその森も切り取られ、最後には図と地を反転させたかのように、浮かび上がる矩形の自然としての人工性を象徴する御所の森。

かつては平安京のメインストリートであった朱雀大路。羅生門から大内裏正門朱雀門に至ったその道を平安の時代から一体どれだけの人間が行き来したことだろうか。その人を中心と考えられたかつてのメインストリートから、「車の時代」の京都を支えるために整備されたのが京都駅を南北に貫く烏丸通。

日常的にここを走る人間には、ある程度の緊張感を与えるだろうなと想像する道幅や車線数を変え、車線ラインがほとんど見えないこの烏丸通。そしてその烏丸通は御所の西側に接することになる。京都駅から北上するといきなり右手に現れる巨大な森に長い歴史の中で護られてきたこの国の中心を感じることになる。

その御所西側の烏丸通から更に西側に入ったところに位置するのが内藤廣設計による虎屋京都店。今回の巡礼の中で訪れた数少ない現代建築。その中にこの建築家の作品を二つも体験することになったのは、移ろいやすい現代においてなお、日本の神域に代表されるスパンの長い時間を見据えながら設計を行っている建築家の思考が他の建築家とはかなり違ったところを捕らえているからなのだろうと想像する。

その内藤廣の建築を、何の事前知識も無く、「気持ち良さそうだから」と妻がお茶をしに行く場所として選んだのも、環境を非常に繊細に建築要素として取り込み、五感で感じるものとして建築を作り続ける建築家の能力を、現代の女性たちはまた繊細に感知しているのだろうとこれまた勝手に想像する。

いくら近代の開発により整備されたといっても元々は徒歩や馬での移動を基本に想定された碁盤の目状の平安京。その上に新しい時代を更新していこうともやはりスケールの問題はクリアできず、目抜き通り以外は今でも残る交通概念が違ったかつての時代のスケール感。

つまりは一方通行が多くしかも道幅も非常に狭いので、慣れていないと非常に運転しづらいということ。ナビに導かれるままに烏丸通から西に折れると右手に確かに虎屋は見えてくるが、駐車場に行くためには、再度左折を繰り返し烏丸通までもどって北上し、先の道を左折していかないといけないという。行きかう子供にぶつけないようにと緊張感を高めながらなんとか駐車場まで車をいれて一息つく。

北京に居を構えていると、否が応でも中心を意識して日常を過ごすことになる。そしてその中心はもちろん故宮。紫禁城である。完全なる風水都市。その中心には皇帝が南に向かって座り、その北には大地の気を流しこむべく湖を掘った土が盛られた景山公園。

その公園の上から見下ろすことが出来るのは、人類史上でも稀に見る壮麗な故宮の建築群。金色に輝く連なる屋根の波。他の場所では決して見ることの出来ないこの大きな風景。こういう大きなスケール好きの妻の要望に応え、天気が良い日は二人で電動スクーターにまたがり、一人2元の入園料を支払い山に登る。

その帰りに寄る故宮・東門である东华门前に広がる通り。小さな商店やレストランが軒を連ねるのだが、故宮が故宮として機能していた明や清の時代にはまさに一等地であるはずで、こんな庶民の生活が権力と並列されていることは恐らく不可能だったに違いないと想像する。その雑多な風景。それと重なる現代の虎屋周辺の風景。

御所と言う日本最大の中心のすぐ横に、凡庸たる住宅地がだらっと広がるその姿。日本全国何処にでもあるようななんともない住宅地の風景か、と言えば、自動車スケールで決められていない街路のスケールがやはり京都の特異さを示すなんとも不思議な風景。

そんな特別な場所において500年以上にも渡って銘菓を作り続けてきた虎屋。御殿場や、東京のミッドタウンなどで既に3店舗、虎屋のプロジェクトを手がけ、クライアント側との信頼関係も十分でき、仕事の流れも十分に理解した上で取り組むこの本丸・京都店舗。その建築家が意識しないわけが無かったこの御所周辺と言うコンテクスト。

さぁ、日本の中心の磁場の中で現代を代表する稀代の建築家が何を見据えて設計したのか、そんな思いを持って踏み入れた切妻平入りの店内。入口の視線を柔らかく遮るように吊らされた白のスクリーン。その吊り元へと誘われる視線の先には、海の博物館を思わせるような半円状の天井。幅細の木を曲げられ作られるその無柱空間は非常に柔らかい空間を作り出す。ふむふむと思いながらも品のいいお店内で怪しまれないように気をつけながら妻を捜す。

窓際の席でお茶を飲んでいる妻を見つけ席に着くが、その品の良い店内の雰囲気に、流れ落ちる汗を抑えるために帽子と首にタオルを巻いていたが、入ってくる前に鞄の中にしまっておいてよかったと胸をなでおろす。それにしても、平日のこの時間にこれだけの数の女性客が、決してお安くはないこのお店でお茶を楽しみながらおしゃべりを楽しんでいる姿を目にし、世の中には裕福な人がいるものだと改めて驚く。

お水だけもらうわけにもいかないので、メニューを見せてもらい手が届きそうな宇治金時を注文し一息をつく。出された氷の品の良さとおいしさにびっくりし、流石は老舗・・・とため息をつく。

やっと落ち着きを取り戻し、店内に目を移すと、入口の道路側にも切妻の庇の下に縁側空間が置かれスクリーンとして作用し、店舗の内側には中心に水盤がおかれ環境調整装置としてと同時にそちら側にも雰囲気を変えられた縁側空間が置かれており、道路側から、何層にもなるレイヤーが重ねられ、ちょっとした距離だが十分な奥を作り出す。

御所と言う大きな中心に対し、この場所でも水の力を借りて小さな中心を作ることで挑んだその設計をしかと見届けようとその水盤を見学しに行く。まるで厚みを持った一枚の黒い石の様な表情とされたその水盤は店内から中心の緑の見切りとなって心地よい緊張感を伴う境界を作っている。

ところどころに京都らしき線の細さと、天然素材の力強さが加味されて、ついつい手で触れてみたくなる欲求にかられるディテールたち。ギャラリーの外壁に使われた45mm角タイルは白ともいえない微妙な色合いと、半マスに加工されたタイルを加えられ縦目地が通るのか通らないのかなんとも不思議な感覚にとらわれ、職人の手仕事の柔らかさを見せてくれる。誰かがこのタイル割の図面を描いたんだと想像すると少々ぞっとするが・・・

そんな考え抜かれたディテールや選定と仕様を考えられた素材の使い方を見ていると、一見凡庸に見えてしまうこの住宅街には、やはり他の地域とは一線を画す強い京の磁場が張っているのだと思わずにいられない。

この場で設計に挑む建築家が、自ら設定するそのハードルをどれだけ高くできるか?それがこの街の風景の奥行きを作り続けてきて、そして今後もまた新しいが確実に京都の街並みに溶け込んでいく風景を更新していくのだろうと思わせてくれる上質の建築だと思われる。

自分なら一体何を武器にこの場所に挑むだろうかと想像を含ませ、できることならこのプロジェクトの坪単価だけでも知ってみたいと思いつつ、カキ氷を平らげ店を後にし、旅を終わらせるためにレンタカーを返しに桂に向かう。

JRで京都駅に向かい、3日前よりも少しだけこの街の風景の奥行きを身体に入れこみ、次に訪れるときはどこから始めるかと頭の中のマップを歩き回りながら、濃密な旅を閉じることにする。
























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