読書体験は実体験よりもその賞味期限が短い。体内に溜まったドロドロとした実体験たちを体外化してやるのを待っていると、恐らく読書体験の賞味期限はとうに切れてしまうであろうから、時間軸に逆らいながら先に片付けてしまうことにする。
「暑い。暑い。毎日が暑くて凌ぎきれない。」
まさに今年の夏を表す言葉として相応しい。
「不快感が渦巻いている。何日も続く猛暑日。記録を更新してゆく月平均気温。」
ここ数年、毎年毎年同じことを繰り返す。
「これは異常気象だ」
「やはり地球温暖化は本当だったんだ」
「海辺に建てた高層ビルのせいで風が流れなくなったからだ」
「ヒートアイランドを解消しないといけない」
「過去例の無いゲリラ豪雨によう甚大な被害」
「短時間に急激に流れ込む都市内排水問題」
「突然現れる激しい雷」
「どこからか出現したのか分からない竜巻」
しかし、誰もが台本でもあるかのように、9月の後半にはぱったりそのことを忘れてしまう。
「そういえば、今年の夏は過ごしにくかったねぇ」と。
人間そこまでバカじゃない。ここまで異常が続けば、地球規模で何かが狂ってきていることぐらい誰でも想像がつく。しかもそれはかなり深刻なレベルの段階で。社会をパニックに陥れることを避けるために、出来るだけ情報を規制しようとする政府と専門機関。雲を掴むような未曾有の事態に面しているが、できるだけ有効だと確信の持てる対策を練り上げてから発表しようと躍起になる。
きっとそんなとこだろうと想像する。一般庶民は「暑い暑い」と流れ出る汗を拭くだけ。
そんな状況に一石を投げかけるような一冊。誰もがその被害者になっているこの温暖化問題。社会問題に鋭い視線で切り込んでいく作者らしい内容で、これを読めば個別の現状が大きな生態系の問題としてよく理解できる。
貧酸素水塊(ひんさんそすいかい)とも呼ばれる生物の住めないデッド・ゾーン。過多な生活排水や産業排水が、植物プランクトンを大発生させ、それらが腐る段階で海底の酸素を消費する。そして海中あるいは海底に生息する生物の大量死を導くことで漁業や養殖業への壊滅的なダメージをもたらす。
貧酸素水塊
海洋に関わる土木建設業を一手に手がけるマリーナ・ゼネラル・コンストラクション、通称マリコンの創業者一家の娘で、お金に困ることのない贅沢な生活をしながら、優雅な海外留学生活を経て、今はトップの国立大学大学院准教授と言う立場にある主人公の住之江沙紀。もちろん美人で頭も切れて、なおかつ人格者というまぁ出会うことは無いだろうと思えるスーパーウーマン。
彼女がレクをするのは、生い立ちに諫早湾(いさはやわん)に関するトラウマを抱える売れっ子俳優の久保倉恭吾。もちろんイケメンで頭の回転もよく、なおかつ情熱的で後半では東京都知事選に出馬する逸材。
「利権のはじまりの底の底にあるのは、金の力によって人よりほんの少しでも良い暮らしがしたいという、個々の人間に切望であった」
個人の欲を充足させるために、少しずつとむさぼった利権は、徐々に生態系に影響を与えてきたが、それが見えなかったのが半分、そして自分くらい大丈夫だろうと思っていたのが半分で過ごしてきた戦後世代が山を削り、海を埋め、川を堰き止めて来た結果、地球は徐々に人間が住めない環境へと変わりつつある。
その状況を利権をむさぼって来た彼らはどう思って眺めているのだろうか?
「広い棚のような浅場があれば、こうも暑くはならないのよ。干潮時には、浅い砂浜や干潟の湿り気が大量に蒸発し、気化熱を奪って海や周囲を冷やしてくれるはず。でも今は海風が吹かない。」
中学生くらいなら常識的に分かりそうなことだが、規模が地球となるだけで、「自分のような大衆とは関わりの無い難しい出来事」と思考停止がかかってしまう。
「川と海は結ばれてこそ補完し合う。湿地、砂洲、浅瀬すべてが繋がっている。」
人間の身体と同じように、摂取した水分を如何に正常に循環させ、排出させることができるかが重要であるように、地球にとっても、「汽水」と呼ばれる淡水と海水が混在した状態の液体が満ちる汽水域が、しっかりと川と海との間を繋いでいることが重要である。
汽水域
局所局所で利権の獲物とされ、分断された水の道は地球環境へのネガティブ・スパイラルを産み出す。流れる清冽(せいれつ)な水は、いつの間にか留まり淀む汚水へと変化する。
「漁業権を持っていて、船もあるけど、漁に出ない。海に出なくても、満ち足りた暮らしを送ることができてしまっている」
警戒船などとして海で出ることで、漁よりもよっぽど楽にしかも大きなお金を手に入れることができる、開発にまつわる補助金。一度楽を覚えた人間は決して厳しい日常には戻れないのと同じように、甘い汁はあっと間に海岸線の風景を変えてしまう。
「やはり学者さん。予算が分かってない」
に代表されるように、国を取り巻く海岸線の問題は、一個人や一企業がどうにかできる問題では決してなく、大きな政治の力が働くことになる。そしてその政治を動かすにはどうしても避けて通れない予算の問題。そして予算を動かす数字のマジック。
ネガティブ・スパイラルをポジティブ・スパイラルに変えるために、変化を拒む既得権益を持つ団体をどう動かすか。「新しいエネルギー開発には資金がかかるから」という理由で炭化燃料に依存し続ける巨大企業。地球と言う視点から眺めるとそれは非常に短いスパンでのものの考え方ではあるものの、一企業という組織の視点からは自らを守るための当然の考え方であるこの矛盾。
経済活動だからとエネルギー方針を転換することを避けてきたそのつけは、間違いなくすべての国民へと跳ね返ってきている。
水中や泥の窒素分を吸い上げる菱。実は糖分やタンパク質の多い食べ物なので、それから焼酎が作れる。掘り起こし、埋め立てるような方法から、自然から学び、寄り添うように地中と共存する方向に少し舵を切っていく必要がある次の世代。
この本を読んで確信できることは唯一つ。循環の中で始めて生態系が維持でき、浄化作用が発揮される。孤立してはダメだということ。それは生命の本質の問題である。
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