2010年5月27日木曜日

「流れる星は生きている」 藤原てい 中公文庫 2002 ★★★






















朝鮮半島で緊張が高まる中、二つの戦後を読み比べた。

敗戦後、侵略先の国の領土を必死に祖国を目指し生きぬきながら、ほんの少し前まで被侵略側だった人々からの個人としての温かい施しや、同じ日本人の集団としての極限の生活の中で見えてくる人の本質と欲望。

3人の子を抱える母として、家族の為という生きることへの根源的な力。

朝鮮人として敗戦後の日本での家族を描く「生きることの意味」と合わせて、終戦が与えた終わりと始まりの意味を見せてくれる作品。この文章が夫・新田次郎に作家になることを決意させ、わがままで泣き虫として描かれる二男が数学者藤原正彦となっていく。


何も食べるものがなくなり、3人の子供達に与えるものを何とか手に入れる為に町中に物乞いに向かうと、ある現地女性が「何も喋るな、貴方が何か喋れば私は村八分にされる。戦争中は日本人を恨んでいたが、貴方たちに恨みがある訳でない。私がものを捨てるから、それを拾うのは私には関係無い」と、米や野菜をカゴにつめ近くの草むらにおいて行く。

食べることが生きることを意味し、生きることは祖国に帰ることを意味した日々の中、国を超えた人間としての根源の優しさ。

そして生きることの容赦ない厳しさ。

靴が破れ、踏んだ小石が足の裏の皮膚の中にめり込んで、化膿して真っ青になっても、丸一日歩き続け38度線を超える。子供を蹴りながら止まったら殺されるという想いだけで、ひたすら南へ、釜山へ、下関へと足を進める。

栄養失調のために死んでいく子供や、路中集団から取り残されそのまま亡くなる人々の身体を横目に、ただただ先へ、故郷へ帰るという希望と子供を生かすという想いが身体を支える。


食べることが生きることを意味しなくなった現在の日本で失われたのは、身体を支える希望と生かすことへの必死の想いを子供達に伝えられる場ではないかと思う。

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