2021年8月4日水曜日

ミュラー邸 Villa Müller_アドルフ・ロース Adolf Loos_1930 ★★★★★

 


Adolf Loos アドルフ・ロース

今までの様に自由に移動できない時期だからこそ、今まで訪れた建築についてまとめてみるのに良い時間になればと思い、まずは建築家の設計した住宅やその自邸などに絞ってみようかとと思い先日アアルト自邸について考えてみた

ではその次にと思い浮かんだ候補のうち、まだ印象が鮮明なうちにとプラハにあるロースのミューラー邸。ラウム・プラン(Raumplan)を実現した住宅と学生時分から強く随分印象に残っており、いつかは実際に訪れてみたいと思っていたが、チェコという場所柄もあり、なかなか機会が訪れない。しかし、2019年の秋にプラハで行われる建築のシンポジウムに参加することになり、この機会を逃すまいとシンポジウムのスケジュールの合間を縫って、ミューラー邸を訪れる為に参加しないといけない現地でのツアーに申し込む。

指定された時間に遅れまいと、バスを乗り継いで最寄りバス停に降り立つと、すでに真っ白な外観が周囲の伝統的な装いをまとった住宅街から浮いていて、異なる価値観を漂わせている。まずは近くに位置する事務局でチケットを購入しないといけないらしく、長い階段を登っていくと、如何にもツアーに参加するらしい建築関係者らしき人たちが見受けられる。

 
ツアー開始の時間まで少し時間があるので、せっかくだからと周囲を散策してみると、丘の上に立つ高級住宅地ということもあり、庭も立派な大きな家が立ち並んでいる。プラハ中心から数十分でこれだけ景色が開けていてなおかつ自然も多い環境で住めるとは、なんとも羨ましいものである。
 


ツアー開始時刻に合わせてミューラー邸の前にいき、今日のツアー参加者らしき数名と待っていると、ガイド役のチェコ人のおばさんが登場し、鍵を開けてくれる。基本的に内部は写真禁止で、ツアー中は荷物は保管しなければいけないということで、共同ロッカーの鍵をガイドの一存でツアー参加者の誰かに預けられることになる。本当はあと一組来るはずなんだがというので、ブツブツ文句をいうガイドのおばさんは、その間を使ってツアーの意義などを説明してくれる。そんなうちに最後の参加者と思われる三名が到着し、ツアー開始。
 
まずはロースの生い立ちから説明してくれる。プラハに次ぐチェコ第2の都市であるブルノ(Brno)にて 1870年に生まれるが、その時代はこの一帯はまだオーストリア=ハンガリー帝国という国であり、第一次大戦終結とともに帝国は解体。そしてチェコスロバキアという国が成立する。そのチェコスロバキアも1993年にチェコ共和国とスロバキア共和国は互いに国として分かれる為に、比較的経済的発展の進んでいたチェコと、発展の遅れていたスロバキアという二つの国が成立する。その為、ブルノで生まれ、 ドレスデンで学び、シカゴに渡り知見を広め、そしてウィーンにて活躍をしたロースの生きた時代においては、現在のような国の境界は存在せず、 オーストリア=ハンガリー帝国における、ブルノ、プラハ、ウィーンという地理的に近しい都市の間でのやり取りであったという。
 
1928-1930年に完成したミューラー邸は、ロースの晩年の作品に当たる訳である。第一次大戦後、建設業で富を成したミューラー氏がすでに著名な建築家として活躍していたロースにその設計を依頼する。紆余曲折あり完成したミューラー邸はロースのラウム・プラン(Raumplan)の理論を実現した最初の建築となる。ラウム・プランは単純な立方体の中で、機能の重要性によってプロポーションをを違えた空間が階段などによって有機的に接合されている建築。ロースの言葉によると以下のようになる。
 
"I do now design plans, facades, or section, i design spaces. For me there is no ground floor, first floor and so on.... For me there are only contiguous,  continuous spaces... the storeys merge and the spaces relate to each other"

" Residential Hall"と呼ばれる二層吹き抜けのリビングルームでは、右と左に異なったソファーセットが置かれており、この空間からラウムプランの回遊が始まる。空間に置かれた椅子のデザインがすべて違うのは、訪問者に自分で座る椅子を選択する喜びを提供するためだとガイドさんが教えてくれる。スタディやダイニングスペースなど、空間によって全く違った色や素材にて仕上げられており、最上階のテラスからはとても気持ちのよい景色が眺められる。傾斜地に沿って建てられているために、地下スペースもかなり広く、最後は地下2階の通用口から庭にでて、庭を回ってツアーは終了となる。

渡されていた鍵を使ってロッカーを開け、参加者みんなの荷物を取り出しガイドにお礼をいい、階段を下りながら、内部の上下に広がる空間を感じつつまたバス停へを向かう。

2年経った今、改めてプランを眺め、スケッチをしてみるが、やはりどうもあの空間の広がりはつかめない。3Dプリンターで断面を印刷してみたが、やはり視線が変わることで別の空間にヌルッとつながり、全く違った視点から先ほどまでいた空間を眺めるという流動性はどうも見えてこない。エッシャーのだまし絵のような二方向に延びる階段に繋がれたスキップフロアのダイニングとスタディ。その下には機能的とは言えない空間が配置されているが、それがもたらした効果は果てしない。
 

効率性からは生まれえない豊かさを、およそ100年前の設計され建設せれた住宅が教えてくれて、それが示す建築における何かしらの普遍性
を考える。

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