2015年2月14日土曜日

円明園(えんめいえん,Yuán míng yuán,圆明园) ★★

円明園
北京の「園」と言えば、西太后の居所として修復整備された頤和園(いわえん、Yíhé Yuán、颐和园)。

その頤和園と同じくらい有名なのが同じく北京北西に位置する円明園(えんめいえん,Yuán míng yuán,圆明园) 。その成り立ちよりも、アヘン戦争で北京に侵攻したフランス・イギリス軍により破壊され、その中の貴重な文化財が持ち去られた話の方が有名な庭園である。

そんな話から、「遺跡しかないんだろう」という勝手なイメージが先行し、どうも足を運ぶことが無かったが、せっかくだからできるだけ歴史的名勝や寺院を訪れることを決めてみると、まずはこの場所に行くべきだとあがる場所である。

ざっくり言うと、清時代に整備された離宮であり、全体として3つの庭園を合わせてのこう呼ばれているが、一番最初に作られたのが円明園(えんめいえん,Yuán míng yuán,圆明园) 。その東、つまり右側に増設されたのが長春園(ちょうしゅんえん、Chángchūn Yuán、长春园)。そしてその南側に作られたのが綺春園(きしゅんえん、Qǐchūn Yuán、绮春园)。

アロー戦争の時に破壊されてしまった有名な西洋建築の遺跡があるがある西洋楼遺跡(圆明园遗址)があるのはどこかと言うと長春園。杭州の西湖十景を模した九州景区や巨大な人口湖である福海があるのは円明園と、巨大な敷地の中に様々な名勝がちりばめられているという訳である。

地下鉄の駅がある南側から入場すとまずは綺春園を通り抜け、東西に真っ直ぐ走る通りを越えて更に北に向かえば長春園があり、逆に西に向かって進んでいけば円明園にたどり着く。まずは西洋楼遺跡を見ないとここに来た意味が無いのではと思いながら長春園の北の端へと向かっていく。

この西洋楼遺跡。破壊された文化財の価値もさることながら、エリアの中心的な施設である有名な噴水の海晏堂に設置されていた十二支像:円明園十二生肖獣首銅像(えんめいえんじゅうにせいしょうじゅうしゅどうぞう、圆明园十二生肖兽首铜像)が略奪され、その多くはヨーロッパに持ち帰れれたという話。

力をつけてきた中国はその文化財の回収に力を入れてオークションで買い戻したりとその多くが中国に戻されているようであるが、その中でも有名なのが、イヴ・サン=ローランが所有していた卯と子の像をオークションにかけて中国側が落札をした際のいざこざなど、多くの物語が生まれた曰くつきの場所である。

西洋楼遺跡の入口近くには黄花陣と呼ばれる大人の胸のくらいの高さの石壁で作られた迷路の様な通路の真ん中に設置された亭では、子供連れの多くの家族が、「そっちじゃないぞー」、「そこを真っ直ぐ入って左!」などと楽しそうに迷路を行ったり来たりしている姿を横目に何とか中心に辿りつくなどしていたら、この場所だけでも相当な距離を歩くことになる。

恐らく殆どの観光客はこの西洋楼遺跡を見て、「円明園を見た」として帰っていくようであるが、建築を生業とするものとしてせっかく来たのだから本来の姿である円明園を見ずには帰れないと足に鞭を打ち巨大な福海を巡り、湖の表面に残る氷の縁に一定感覚で翼を休め暖かい春の日差しを浴びる鳥達の姿に、京都の鴨川の川辺に一定感覚で座る学生カップルの姿を重ねながら先を進む。

殆ど人影すら見かけなくなった円明園の西の端にある九州景区。看板を見ると「蘇堤春暁 」など正月に杭州で見かけた「西湖十景」の名前が。なんでも中心の湖の周辺に美しい景観を作り出し、それらが「西湖十景」を模しているようであるが、「季節が違う」という要因を差し引いてもやはり「西湖十景」には遠く劣るようである。

ここから入ってきた南門に戻るのは相当に距離があると、逆に西門まで歩ききった時には
既に本日の走行距離が15キロにもなっており、ぐったりと身体に染み付いたような疲労から、予定していた南西部への寺院巡りを次回に譲ることにし地下鉄の駅へと向かうことにする。
西洋楼遺跡
円明園(福海)
円明園(九州景区)
綺春園



綺春園
綺春園
綺春園



諧奇趣跡
諧奇趣跡
黄花陣
黄花陣
黄花陣
黄花陣
黄花陣
方外観跡
海晏堂廃墟




大水法の前でポーズを決める中国人女性
大水法
観水法
大水法



















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