2014年8月30日土曜日

「他人を見下す若者たち」 速水敏彦 2006 ★★★

書店やネットで随分見かけた本なので、時代を体現している内容なのだと思っていたが、なかなか手にする機会がないままに時間をすごしてしまい、気がつけば出版からすでに10年近く時間が経ったことになる。

匿名のネット世界だけでなく、自分の身の回りにも「自分のことは棚に上げ、すぐに誰か別の人を悪く言ったり、見下したりする」人たちが多くなっていると感じるのは、恐らく現代に生きる人の総体としての実感であろう。

ネットで見られる誰かをターゲットにした集団のたたき。世間を賑わすようなニュースにかこつけて、とことん個人情報をさらし、その家族や周辺の人たちにまで攻撃を与え、正義の番人になったかのように徹底的に痛めつける。

その流れが過ぎると、すぐに次の目標へと向かい、ただただ終わることのない他人叩きが繰り返される。そんな殺伐とした雰囲気を誰もが感じているはずである。

ネットが登場するまでは、情報というのは受けとるばかりであった一般大衆。メディアに登場し情報を発信するのは、リアルな世界において何かを成し遂げたり、名声を得ている専門家や芸能人。それがネットの登場により、誰でも情報を発信できる力を得ると、通常世間から評価されて決まるべき経験や名声というものを抜きにして、自分で勝手に判断し、あたかもひとかどの人物かの様に発信する機会を得てしまう。

機会を得たら、それを実行に移したくなる欲望の生物である人間。本来なら長い時間をかけて、一つのことに真摯に向き合い、ストイックな競争の中で徐々に周囲から認められ、周囲の人も耳を傾けるようになる実社会の時間の積み重ねはしない割りに、すぐにできるだけ多くの人からの承認や賞賛を得るために、一番手っ取り早いのは、いかにも弱者と思われたり、悪者と思われる人間に対して攻撃すること。

その姿に、これまた匿名のネット民が「よくやった!」という言葉が、あたかも自分の存在の肯定かのように捉え、そこに実社会では得にくい承認という快感を感じていく。快感はすぐに慣れてしまうものなので、前よりももっと大きな快感を、前よりももっと多くの日とからの承認をとその攻撃性は止まることができない。

そんなネットの特性によって新たに見つけられた人間社会のある一面性。そのネット社会の雰囲気が、実社会の中まで持ち込まれ始めたところから感じるこの殺伐とした感じ。そうしてみると、恐らくこれは「他人を見下す」という部分と「若者」という部分で分けられて、本来的には若者だけでなく、すべての国民においてこの傾向はネットから助長されて広がっている現象であると思われる。そしてそれは日本という国に関わらず、世界同時進行の現象なのだろうと想像される。

そして「若者」ということは、また別の側面で、思春期の多感な時期にすでに見方によれば無法地帯を思われるネット社会と当たり前のように接しながら育ち、核家族の中で両親という限られた大人しか触れることなく、多様性の無い社会の中で幅の広い価値観を見ることなく、十分に子供としつける能力も足りていない親に育てられたり、子供に向き合う時間を取れずに自分優先で物事を判断する親の影響を受けたりと、地域の中で子供を育てていて世代から、一気に家族、それも核家族という小さな家族という親の資質によって教育が大きく差が出てしまう状況の中、ネット言う自分の望む情報だけを得ることができるツールの使いこなし方も教わることなく育ったのが、この「若者」という言葉に託されている像であると思われる。

忍耐力もなく、ただし根拠無き自分へのプライドはやたらと高く、ギャーギャー泣き喚けばすぐに自分の思うままに買い与えてくれたりする芯の無い親からは、社会で生きるための規律や共同の役割の大切さを教わることなく育ち、実質10歳も満たない子供の様な精神レベルで社会の中を漂い、増大するエゴを抱えながら、自分には分かっている自身の能力の無さに不安を覚え、それでいながら、メディアに翻弄されて自己に期待するイメージばかりを保とうとする。

本文を読んでいても、「あれ、この部分てあの人のこと・・・」と、身の回りの人の行動に見事に当てはまる部分が何度も見られる。それは恐らく個別的な現象というよりも、時代的、社会的現象なことであるのだろう。

分析や個別例を客観的に示しながら、心理学の面から現象を捉え、感情的にならずに、ちゃんと現実的な提案まで行っているので、そのタイトルから想像される内容に対して、自分が考えていること以上の情報を得ることができ、さらに今後の展望を与えてくれる新書としては非常に良い一冊となっている。それだけに、読みながら引いた線の多さと、その後にタイピングする文字の多さがそれを物語る。

以下本文よりいくつか抜粋。
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学びも働きもしないし、職業訓練も受けようとしないニートが増加している
人間の感情や「やる気」のあり方が今、大きく変わろうとしているのではないか

人は自分の立場ばかりを見て、他人の立場をみなくなる

誰もが体面を保ち、個を主張して生きていくことが求められている。少子化の影響で小さい頃から大切に育てられ、苦労をせず、楽しいこと、面白いことに浸ってきた若者にとって、見知らぬ社会を一人だけで歩いていくことは恐怖でもある。欲しいものを何でも買い与えられ、、有り余る時間を自分のためだけに使ってきた人たちが、厳しい現実の競争社会の中でまともに生きていくことは難しい課題である。

自分は他人に比べてエライ、有能だ という閉鎖的な感覚
一時的にせよ、自分に対する誇りを味わうことができる
特に負け組になりうるような人々が生き抜くためには必須の所持品
他人の能力を低く見るほど自分の能力の自己評価がつりあがることになる。

常に自己中心でありたい
我慢ができない セルフコントロールができない 忍耐力がない 机や壁をける 物にあたる

怒りは自然に出てくるものだが、悲しみは生活体験、想像力がないと持てない

知的好奇心を感じるのは、限られた子、知識のある子であり、その割合が少なくなってきた
喜びを感じやすい人は悲しみも感じやすい

子供たちが欲求不満でぐずっているときに、親がその場を早く乗り切りたくて、お金で帰るものならすぐに買い与えてしまうことが多くなっているから
子供が欲求不満に陥る前に、親が何でも買い与えるためではなかろうか
欲求不満にならなければ、我慢も、悲しみも生じない

直接自分だけに関わるのではなく、社会全体に関わる不条理なことに関しては、怒りをあらわにすることは減少しているように見える

現代の日本で「悲しみの希薄化」が進んでいることを嘆いている
悲しみの文化から怒りの文化に移行している

ここ数年のヒット曲の特徴として「根拠なき自己肯定」
努力や経験という代償なしに誇りを得たいという、現代の青年たちの欲求がある

すでに何年か前から現代人は「悲しみ」よりも「怒り」を感じる時代に突入している
特に若者にあっては、「キレる」とか「むかつく」という言葉が氾濫し、怒りをあらわにするような事件が、頻繁に起きていることからも推測できる
人から注意を受けることに対して、自分が下に見られたという認識が強く働いたため

別れも 物質的に豊かになった今、距離的にはなれたところに移動したとしても、いざとなれば短時間のうちに帰れる交通手段があるし、電話やメールでたえず連絡できる。別れの意味は、まったく異なってきている。物質的豊かさは悲しみの感情を抱く経験を減少させてきた

葛藤が起きると、即座に怒りの感情として爆発したり
個人主義社会では攻撃性が高まり、暴力が日常的に発生する

学習の動機付けが低下してきている
大人の勤労意欲も、戦後豊かさが広まる連れて変化

現代の日本社会 さらに高い水準の生活は現実的には求めようもなく、物質的に充足した今の若者たちは、人生の目標や夢を失ったように見える
自分自身の価値を意識して生きることは、難しいことかもしれない。若者が社会に貢献できているという感覚や、社旗に必要とされているという感覚を持ちにくい時代である。

打たれ強いとか、我慢強い 少しのことで傷つきやすい

自分以外はバカの時代
高度専業社会 誰もが何かの専門を学んで、各人がプロ意識を持つため
相対的に他者をバカにすることに繋がっているのかもしれない
同情したり共感したりすることもない殺伐とした社会が到来する
国際競争力をつけるために日本人はもっと自分を主張せよ
人の欠点をはっきり言う人のほうが有能 先に指摘したほうが勝ち

親たちが先生や学校をバカにする
自分の子供を高く評価してくれた先生=良い先生

一定の年齢になれば、自分を監視する目を自分自身の中に強く意識するようになるため
現代の若者に社会的迷惑行為が多いのは、自分自身を監視する注意力が発達していないからであろう

大衆は下品で無教養で、自分とは異なる人種のようである
そう断定することで自分の価値を吊り上げようとしたのだろうか
弱者であるホームレスの人たちを襲う事件

素直に謝ろうとしない 
弱者とみなされやすい「叱られる立場」になることをひどく恐れて 
親が率先して学校に謝罪をすることを強く拒否する

近年はあらゆるものの選択の幅が広がり、一様に比較することが難しくなった
誰もが「オンリーワン」の気分を持ちやすい
自分の価値を上積みして、自己価値を吊り上げることが可能になる

自己愛的な若者が増えている
赤ちゃんのときの誇大自己を手放せないまま大人になったのが、自己愛人格の人たちである
幼児期、児童期での大人の甘いしつけが、自己愛形成の確立を高めてしまう

他社軽視を通して生じる偽りのプライドがある
過去の実績や経験に基づくことなく、他社の能力を低く見積もることに伴って生じる本物でない有能感
彼らに共通しているのは他者との親密な人間関係が形成されておらず他者を軽視していること
人は誰も常に優れた存在でいたい、人から認められる存在でありたいと思っているため
現代の人々は自由な社会の中で自我を膨張させている面がある
他方では産業構造の変化や厳しい現実から、結果としての夢の喪失、自信の喪失がある
自分の有能さを確信している人が、他者の能力を低く見ることはありうることである
有能感とはあくまで主観的なものだからである

他者軽視的内潜的言動が生じたときに、ほぼ自動的に誇らしい開館を瞬時に感じる、それが仮想的有能感の正体と言える
自分が負け組みであることを意識しないように、先手を打って他者を見下げることで生じた有能感やプライドなどと、自ら意識的分析的に解釈しようとはしない

人間は本来常に自分を高く評価していたい動物である
社会的比較論では、人は自分より低い位置にある人を比較の対象と考えることにより、自己高揚が生じることがすでに指摘されている。つまり、人は自分よりも優れた人物について知りたがっているというよりも、自分よりも劣っているものに関する情報を求めたがっている。このような傾向を、下方比較と呼ぶ
下方比較することで心理的安寧を得ようとするものの様である

希薄化する人間関係
人は親しい人間関係を喪失し、孤立すればするほど、外面的には傍若無人な他者軽視的行動をとるようになる
なぜ彼らは真の自己肯定感はもてないのだろうか
人の自信というのはつまるところ、親しい人間関係になる周りの人たちから、承認され賞賛される経験を通して形成されることが多いからである
ただし親密な人といっても、親や兄弟というよりは、それ以外の親しい人の承認や賞賛が大きいように思われる 先生 友人

私の意見が聞き入れてもらえなかったとき、相手の理解力が足りないと感じる
他者と違って自分は知識や教養があり、それなりの地位についている
他者の意見に比べて自分の意見は優れている

成功者が落ち目になってり、失敗したりすると、ここぞとばかりに袋叩きにする
ジェラシー方嫉妬よりもむしろエンビー型嫉妬

新しい電子機器に対する適応の問題
自分の操作のうまさによるものではなく、機械の性能のよさに起因するものだが、それを多くの若者は自分の力であるかのように誤解する
マスメディアの発達 瞬時にして世界の動きを知ることができる 人を軽く扱う風潮

仮想的有能感が高い人ほど、ニュース番組を見やすく、ドラマ番組を見ない
毎日のように流されるニュースーそれはネガティブな意味を持つ内容が圧倒的に多い

悲しみが多いほど人にはやさしくなれるというような悲しみは、昨今ではなかなか見つからない
中原中也「汚れつちまつた悲しみに、今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる」

自分の日常はあっという間に退屈なものとなり、毎日の記憶も薄れていくのかもしれない
今の若者は、自分喪失の危機から脱出するために、泣きの反応を身に着けた
悲しみをある程度蓄積している人のほうが感情の統制ができるのではなかろうか

上野行長 ユーモアは3種類 攻撃的ユーモア 風刺、ブラック・ユーモア、皮肉、からかい、自虐
陽気なユーモア  遊戯的ユーモア 
支援的ユーモア 励ましたり、許したり

今後予想される社会は、個々ばらばらの社会
人間同士の温かみが伝わらない冷え切った社会

本当の意味でのしつけの回復
自尊感情を強化する
もっとも子供に一定の役割を与え、それを遂行させる経験が必要であろう。
彼らにとって自分が誰かに役立っている、何かの役割を果たしているという感覚こそ必要である
積極的に家の仕事を分担させることが望ましい。食事の後片付けであれ、風呂の掃除であれ、どんな小さなことでも、毎日繰り返して行うようなことで、役割を遂行する習慣をつけることが大切である
そこから自分の存在の意義が見出せるし、日常生活が、家族の人たちのいくつもの仕事によって支えられていることを認識できる
多くの人たちに直接触れ、実際に自由にコミュニケーションできる場を増やす
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■目次  
/日本人の感情
/やる気が変わった
/若者、負け組の「他者軽視」
/現代人への警告として

第1章 感情が変わった/
/子供の感情の変化
/頻繁に「怒り」を感じ、表出する子供達
/「悲しみ」にくく、「喜び」にくい子供達
/表出されない感情
/恐れ、驚き、面白さ
/感情日誌から見た若者の日常的感情
/中学生の喜び、怒り、悲しみ
/大学生の喜び、怒り、悲しみ
/感じない子供達
/「悲しみ」と「怒り」の性質
/感情の文化差
/悲しみ量の歴史的変化
/作文から見る
/流行歌から見る
/映画から見る
/個人的仮の増大
/貧しさから豊かさへ
/権威主義から民主主義へ
/宗教の衰退
/集団主義から個人主義へ

第2章 やる気が低下する若者たち/
/やる気の変化
/自信の無い日本の若者
/有能感の国際比較
/「大志」を嫌う現代っ子
/大人側の責任
/昔と今の大学生
/集団を避ける若者達
/大学生の内的エネルギーの減少
/僕の長所って何?
/子供に距離を置く教師
/子供や若者に蔓延する鬱

第3章 他者を軽視する人々/
/「自分以外はバカ」の時代
/親の問題行動
/平然とする若者達
/社会的迷惑行為が増える理由
/薄れる罪悪感
/大衆は劣等
/他人蔑視の昔と今
/ピーナッツに見るルーシーとチャーリーの性格
/謝らない子供、親

第4章 自己肯定感を求めて/
/「並み以上」の感覚
/自己愛的性格の浸透
/日本人のポジティブ、イリュージョン現象
/高校中退者の楽天主義
/可能自己
/自己肯定の不安定さと他者軽視

第5章 人々の心に潜む仮想的有能感/
/他者軽視と仮想的有能感のメカニズム
/仮想的有能間が働きやすいケース
/下方比較で安心する
/希薄化する人間関係の中で
/人間関係のストレス
/他者軽視傾向から推測する
/仮想的有能感を持つ人の特徴
/軽蔑や嫉妬を含む仮想的有能間
/自己愛との距離
/社会・文化的要因
/ITメディアの影
/ネットの中の有能感
/インターネット好きでドラマが嫌い
/誰にでもある仮想的有能感

第6章 自分に満足できない人・できる人/
/自尊感情が高いのか低いのか
/自尊感情・仮想的有能感・自己愛的有能感
/経験に基づかない仮想的有能感vs経験に基づく自尊感情
/仮想的有能感と自尊感情との関係
/仮想的有能感の4タイプ
/年齢と仮想的有能感
/年齢ごとの有能感タイプ
/「萎縮」する若者にも注目
/年配者の「全能型」にも注目

第7章 日本人の心はどうなるか
/感情ややる気を動かす仮想的有能感
/仮想的有能感と一般的怒り
/個人的出来事に怒り、社会的出来事に無反応
/高校生の感情反応調査から
/悲しみはどこへ
/泣いてみたいだけ
/悲しみをエネルギーに
/悲しみの文化の意味
/心から「喜ぶ」ことができますか
/集団での喜びを感じない人々
/「笑い」の変質
/「ユーモア」の源泉
/熱くなれない理由
/21世紀社会への警鐘としての仮想的有能感
/個人主義の文化差
/仮想的有能感からの脱出
/しつけの回復
/自尊感情を強化する
/感情を交流できる場を!

おわりに
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