2014年4月19日土曜日

名古屋市美術館 黒川紀章 1987 ★


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所在地  愛知県名古屋市中区栄
設計   黒川紀章
竣工   1987
機能   美術館
構造   RC造(一部SRC造)
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名古屋城方面を目指して北上していくと東海屈指の繁華街である錦3丁目の手前にこんもりと広がる白鳥公園が見えてくる。そこにあるのは名古屋市美術館と名古屋市科学館。

特徴的な名古屋市科学館のファサードを見ていると、ふと子供時代の記憶が蘇る。通っていたソロバン教室から参加した市内の大会で優勝し、市の代表として参加する県大会。それに向けて練習を重ねて望んだが、思ったような結果が出ずに落ち込んでいた時に、付き添ってくれていたソロバン教室の先生が帰りに連れて行ってくれたのがここ。

「懐かしいな・・・」と思いながら豊かな緑に囲まれて、思い思いに週末の時間を過ごしている人々の姿を眺めながら目的の美術館へを足を向ける。

今でこそ建築家といえば「安藤忠雄」という名前が出てくるが、恐らくその前の世代にとって建築家としてイメージされる名前は「黒川紀章」だったに違いない。丹下健三に憧れて京都大学から東京大学の大学院へと進み、少し年代の上の槙文彦や菊竹清訓らとともに、メタボリズムとしてアジアから初となる世界的な建築ムーブメントを起こす中心人物となる。

圧倒的なアイデアと、圧倒的な思想力、そして行動力。それは何度も挑戦した東京都知事選での行動でも多く世間の人に知られるようになる。とにかく建築に関わる人間であれば、その圧倒的なエネルギーと行動力、そして日本中に散らばる多くの黒川作品の数にその影響力の大きさを感じずにいられない。

その黒川紀章の出身地がこの愛知県。そして通ったのは名古屋にある仏教系の高校。生涯にわたるルーツとなる場所に、バルブの真っ只中に設計されたのがこの名古屋市美術館。

モダニズム時代より、そのシステムを構築する能力にはずば抜けていた黒川紀章。そのシステムが作り出す造詣の美しさは大阪万博東芝IHI館の印象的な造詣からも伺える。しかし単体の建築物としてとなると、どうもとっかりにかけるのか、どうしても師の丹下健三や他のメタボリズム達の建築とは距離を置いて、どうして装飾的なボックスに単純幾何学を挿入したというようなポストモダン的な操作の印象がどうしても強くなってしまう。

それは、時代に乗り、恐らく日本で一番多くの公共建築を手がけた建築家ということもあるのだろうが、問題は個々の建築よりもそれらの事務所の作品として仕上げていくプロセスがある種のシステムであったということであろうか。

そんなことを考えながら、ステンレス仕上げの鳥居にびっくりしながら、そそくさと白鳥公園を後にする。

















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