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第131回(2004年度上半期) 直木賞受賞
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目次
/空中ブランコ
/ハリネズミ
/義父のヅラ
/ホットコーナー
/女流作家
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そんな患者と伊良部の対比を通して、現代社会の過剰ぶりを描き出すのが本書の目的なのだろうが、それにしても前回にもまして笑えるようになった伊良部の行動。これだけ笑いで現代の閉塞感を吹っ飛ばしてくれるのなら直木賞受賞も納得の一冊。
「空中ブランコ」では、「飛べない豚はただの豚」と20世紀の名言を思い出させるかのように、サーカスの空中ブランコで上手く飛べなくなってしまったサーカス団員の治療をする伊良部。「何々、サーカス、面白そう」と勝手に見学に行き、着実に他の団員の心をつかみ、空中ブランコの練習を始め、終いには実際のショーに出てしまう伊良部。
誰もが、「これはさすがに常識的に考えて失礼だろ。無理だろう」と線を引いてしまうところが、伊良部にはそのラインが存在しない。とにかく自分の興味だけ。その世間とかけ離れた無垢な姿が周りを引き付けていく。
普通の人なら覚える空中ブランコの恐怖心。しかし伊良部にとっては楽しい部分が勝ってしまうから何の躊躇もなく飛び出していく。「ワールド・ウォー Z」の飛び出すゾンビのようなものである。ある種の線がぶちぎれているとしか思えないその行動。
そしてクライマックス。大勢の観客に見つめられながら飛び出す伊良部。その姿に主人公ですら少し期待をしてしまうほど、「デブは映える」。そして「クルリ」とクビをまわす伊良部。そのまま笑顔で落ちていく。なんともいい。
「ハリネズミ」では尖端恐怖症の男。しかもその男の職業は刃物と渡り合わなければいけないヤクザ。ヤクザの高圧的な言動にも一切動じない伊良部。いつもの当たり前が通用しないその診察の様子に、なぜだか知らないが再度足を向けてしまうヤクザ者。互いに相手には言えない弱みを持った者同士のヤクザの対決に立ち会うことになった伊良部。その様子が目の前に浮かぶようで笑いをこらえながら読み進める。
「義父のヅラ」。やってはいけない。と言われると、逆にやりたくてしょうがなくなってしまうその衝動。誰でも経験があると思われるが、例えば高層ビルのベランダで、下を覗けばくらくらするような高さ。そんな足も竦むような風景でも、頭の中ではベランダの手すりを越えていく自分の姿を想像してしまう。確か若い芸人でも、この症状を押しにしている人がいたようなと思い出しながら読み進める。
それにしても、妻の父であり、勤めている大学病院の会長である医師のカツラを取りたくてしょうがないというのは何とも秀逸な設定。その前段で渋谷にある金王八幡宮の「王」に点をつけて「玉」にしてしまおうと、深夜の歩道橋に二人でペンキを持って集合する中年の男たち。それにしても見事なまでに風景が想像できる表現力である。
「ホットコーナー」では、完全に投げるボールのコントロールを失ってしまったプロ野球選手。サードから一塁にどうやってもまっすぐにいかない。イップスなんていう言葉がはやったが、身体の動きというのは、些細な心の機微に何とも左右されるものか。会話でもそのレベルは明らかになるとプロ野球選手と素人とのキャッチボールを例にだしたのは齋藤先生。そのプロ野球選手もふとしたことで、もう戻ることのできないレベルに一気に落ちてしまうのが現代社会の恐ろしさ。
「女流作家」では、締切に追われながら、自分の求める作品が書けないにも関わらず、世間での人気作家としての地位を守るために必死になっている女性作家。マンネリ化に陥っていることを理解しつつも、それをテクニックだと自分を納得させてはいるものの、治療に訪れた先の精神科医がなぜだか自分も小説を書くと言って送ってくるものが、少々新鮮に映る姿に、プロフェッショナルとしてキャリアを積み、その先で壁に当たった時の心の整え方について思いを馳せる。
今回も見事に面白おかしくではあるが、しっかりと現代に生きる人の息苦しさ。そしてそれがすべて一般常識や世間の見方など、自分が勝手に作り上げた怪物の姿におびえることから来ているのだと、横で赤子のように無邪気に楽しむ伊良部の姿を対比させることで描き出す。「人のフリ見て我がフリ直せ」ではないが、患者と伊良部の姿を見て我々は自らの日常を見つめなおすことになる。
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