2013年12月19日木曜日

わざと間違えておく

服部真澄の「エクサバイト」で美術品の修復理論の三原則として紹介されるブランディの三原則。

1 修復に際して加える処置 その後に見たとき、明確に修復だと確認できるものでなくてはならない。
2 作品の見かけ上の仕上がりを変えてはならない
3 修復処置は容易に元に戻せるものでなくてはならない

チェーザレ・ブランディ「修復の理論」

修復というのはオリジナルに戻すことではない。
あくまでも時間を経た現在の美術品の状態を修復することである。
つまりはそれが修復された作品であるという証拠を残すこと。


読書をしてそれを纏めるために、まずは目次を書き出すことになるが、これだけネットに情報が溢れていても、新書などで全ての目次項目がネットで見つかるものはやはり少ない。そうなるとしょうがないので自分で打ち込むことになる。

この作業をすると、大体その本が何を言おうとして、その内容を分かりやすく伝えるためにどう構成されていったか、作り手の思考を追うことが出来るので、読む前に行う作業としてなかなか有効であると思っている。

そして読み終えた後、読みながら引いていた蛍光ペンの跡を打ち込むことになる。本を横に置いてみながら打ち込むのは、膨大な時間がかかるために、線が引かれたページをカメラでとってデータとして画面に表示しながら打ち込んでいくのだが、この時に気をつけていることがある。

それが上記の原則。ネット上のどこかからまるまるコピーしてきたのではなく、実体のある本を経由して、その中から自ら取捨選択した部分を打ち込んだという身体の痕跡を残すために、打ち込んだ文のどこかに小さな揺らぎを紛れ込ませること。

自分なりの方法で筆者が強い想いを持って発した言葉を身体の中に入れていく。内容を纏めるようなことは、星の数ほどある様々なブログで腐るほど見つけることが出来るので、それと同じにならないように、自分の身体の中で消化し、自分なりの言葉で外部化する。

これが自分なりの筆者への敬意。いつの日か自分が本を書く機会に恵まれて、その想いを誰かが受け取り、その人が出来るだけ多くのページを今の自分と同じように手を動かして自分で消化するために打ち込んでくれるとしたらそれは幸福に違いない。そしてそのようなブログを見たら自分はきっと深く感動するのではと思う。

そんな小さな小さな自ら立てた揺らぎが反響し合い、いつか自らの思考の中に大きな波紋が生まれ、美しいさざ波を作り出してくれることを期待して、また今日も小さな間違いを埋めておく。

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