2013年12月28日土曜日

水面ルンバ

タイのプーケット。朝食を取っていると、ホテルのプールに置いた葉っぱを拾うスタッフの姿が目に入る。

それを眺めていると、「恐らく何年後かには、水面をアメンボの様にスイスイ這っては葉っぱを自動的に片付けてくれるような、ルンバの様な機械が生み出されるんだろうな・・・」と想像する。

そうすると、今葉っぱを網ですくっているあのスタッフは仕事を失うことになるのだろう。そうしたら彼はどうするのだろうか?タクシーの運転手などになるのだろうか?しかしそういうある仕事が無くなったから、別の仕事を探して、別の仕事があるうちはいいけれどもそれがいつまで続くのだろうか?と勝手に想像は膨らんでいく。

単純労働であればあるほど、機械などに取って替わられていくのは避けがたい事実。その機会の出現で失われた雇用機会と、その機械の出現によって生み出された新たなる雇用機会を比べても、明らかに失われたものの方が多いであろう。

つまり新たなる発明は間違いなく人間の仕事を少なくしていく。人類に残された仕事量はいったいどれくらいなんだろうと。

Iphoneの登場によって間違いなく人類の時間の過ごし方は変わった。それを思いついたときにジョブスが見た未来は間違いなく輝かしいものだったであろう。そのビジョンへの想像力、それを可能にする実行力、それを支える経済力。様々な要因を持ちえて今世界中の人の手に彼のビジョンが届けられている。

そのビジョンのお陰でどれだけ生活が豊かになり、どれだけ仕事が効率化されたか。

しかし、それと同時に世界の何処かで誰かがそのせいで仕事を失ったこともあったに違いないと想像する。

「風が吹けば桶屋が儲かる」

ではないが、これだけ大きな社会的インパクトを与えた道具は同じくらいの大きな単純労働を無くしてしまったに違いない。その代りにアプリ制作や様々な広告など新しい業態の労働が生まれたのももちろんであるし、歴史なんていうのは多かれ少なかれ同じような事を経験しながら現在に繋がっていると言う事も事実であろう。

しかしこれほどある場所から発せられた事象の影響力が世界の隅々まで届くようになったグローバル世界においては、新しい事の輝かしい面だけを見て進めてしまうことにより、多くの無意識の格差の皺寄せを受ける人々を生み出してしまうのだと改めて感じながら朝食を終えることにする。

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