2013年12月23日月曜日

人は楽をする

色んなところで言われるように、日本では正規と非正規の格差が留まる事を知らずに広がり続けている。

それは「今見える格差」だけでなく、将来的、40代50代になった時の格差。病気や看護など「何かあった時」の格差。退職時の退職金など老後に備えた格差。退職後の国民年金だけに対して厚生年金や企業年金などの老後の格差など、様々な「見えない格差」が先に控えていることは随分と認知されてきた。

それほどの格差が圧倒的に自分の人生だけでなく、子供などにも大きな影響を与えてしまうからこそ、誰もが格差の負け組みになりたくなく、なんとしても格差の上部構造にしがみつこうとする。

その構造が明確であればあるほど、会社員はどんな過酷な労働でも会社に残る為に、正社員の椅子を掴み続ける為に必死に会社に奉仕する。その構造をより確固たるものにする為に、会社は一度その傘から外れたものに対しては敷居を高くし、「一度こぼれ落ちたら、二度とこの特権は得られない」という状況を作り出す。そして、一部の特権階級とその他の大勢の格差負け組という絵が明瞭に描かれていく。

それが今の世界。これが「キャリアラダーの無い」状況であり、「一度降りたら二度と戻れない」現在の仕組みである。

と良く言われているが、本当にそうであろうか?

張り詰めた日常を生きるのは相当に大変である。毎日楽しいばかりではない仕事に、朝早くから起きて、身動きの取れない電車内では他の人の迷惑にならないように気を遣いながら一時間近く我慢して出勤するのは確かに辛い。

健康でいる為に、体調を管理する為に、睡眠時間やのんびりする時間を削ってジムに行き、汗を流してランニングしたり筋トレするのは確かに辛い。

厳しい競争原理の働く市場の中で、新しく出てくる競走相手に対しても常に自らの職能的価値を高めていく為に、新しい知識を学び、様々な技能を身に就けていく為に、自分の時間を割いてでも勉強や読書、セミナーなどに足を運ぶのは確かに辛い。

能力があるだけでは仕事が来るわけも無く、会社を知ってもらって仕事を貰えるように、今までまったくやったことのない営業の為にあちこちに出て行かないといけないのは確かに辛い。

そんな日常の中から少しだけ楽をしていく。

睡眠を削って、辛い運動をして体調管理するためのジムに行かずに、その分温かい布団の中で余分に眠るのは確かに楽だ。

眠い朝、朝ごはんをしっかりと料理する時間がめんどくさいので、簡単なもので済ませてしまうのは確かに楽だ。

電車の中で新聞や読書で小難しい内容に向かうよりは、周りも気にせずPSPで恐竜でも追っていたら確かに楽しいだろう。

職業的能力とは関係なく、仲間内の関係性、お付き合いの深さで仕事が回ってくればさぞストレスも無いだろう。

自分で稼いで、少ない収入でもその中でやりくりして生活をするよりは、親にパラサイトして稼いだ分を家に入れることなく好きなだけ自分の欲望に使えたら、さぞ楽しいだろう。

努力する事を止め、会社のブランドや社内での立場を利用し、人間関係の波をうまく立ち回ることで出世していければどれだけ楽であろう。

親のストックで自分の一生ストレスに晒されずに済むような遺産や何もしないで定期的な家賃収入が望めるような家業があれば、さぞ楽だろう。

自分の欲望を抑えることなく、収入よりも多く支出をし、足りない分は親や扶養者、行政などに頼るか、もしくは安易に稼げるような夜の仕事へと足を踏み入れたり、犯罪行為へと手をそめていけば、さぞ楽であろう。

手に入れた政治家と言う権力を利用して、何千万もの大金を簡単に手中に収め、「アマチュアだった」の一言で過ごせてしまえば、さぞや楽であろう。

こうして人は少しずつ、日常の中で楽をしようとしていく。

そして一度楽をしたら、一度階段を降りたら、そこに待っているのは今までよりも快適な日常。自ら「楽をした」と認識して時間を過ごしても、それはあっという間に新たなる日常へと変わっていく。そうすると、再度階段を上り、また張り詰めた日常に戻るのはほとんど無理になる。そんな気力は無くなっていく。


最初はほんの少しの休憩。
ほんの一段だけ。

そんなつもりが、気づけは何段も降りていることに。そこからも振り返ると、元いた場所がどれだけ上にあるかに唖然とする。かつての仲間がどれだけ先に進んでしまっているか。その距離と、そこに戻るまでの労力を嫌というほど思い知る。

「日本では一度レールから外れると、また戻ってくるのは相当に難しい」

そんな風に言われるが、問題はレールから外れてどの道を歩くかに違いない。レールから外れたのは、実は無意識に階段を降りてしまうことは多々ある。

それほど、組織から離れ、自らの意思で自らを成長させ続けるような時間の過ごし方をし続けるのは途方も無く難しいことであり、同時に組織の中にいれば、意識の高くない普通の人間でもそれなりに成長をし続ける事ができるという事であろう。

楽をする為に、階段を下りる為にレールから外れるのではなく、自分だけの階段を上る為に歩を進める。意識を高く持ち、欲望とうまく折り合いを付けながら、自らがした選択に対して意識的に時間を過ごしていく。

そんなことが出来る人とそうでない人との差がより一層大きくなっていく世の中になっていくのだろうと想像し、本当の格差とはそこに生まれるものだと思わずにいられない。

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