2013年11月22日金曜日

忙しさとストレス

誰でも出来ることなら忙しい日々は送りたくないものである。しかし生きていくということは、非常に大変なことである。生きるためにお金を稼がなければいけないし、その為には働かなければいけない。働くことが楽しいばかりではないのは世の中の誰もが知っていることであるし、ほとんどの仕事は毎日苦難が大半を占めるのもまた同様。

そればかりではなく、生きていくうえには家庭に関する様々なこともこなしていかなければいけない。掃除、洗濯、料理、片付け。収入と家庭の将来計画に沿って月々のやりくりをしなければいけないし、現代社会で生きていく上の様々な必要なやり取り、保険、年金、光熱費、通信、様々な手続きは増えるばかりで上手く正確に処理していかなければいけない。

子供ができれば、自分で自分の世話ができない子供の為に多くの手間をかけてやり、親が高齢化すればまた大きな世話を引き受けていかなければいけない。それほど現代社会で生きていくのは大変なことである。

誰もが「あーーーーーーーーー」と叫びたくなるような物凄い量のやらなければいけないことを抱えながら、それと比例するストレスを脳に与えながら生きている。もちろん誰もがそれに耐えられる訳でもなく、その忙しさとストレスの最前線から一線を引き「ニート」や「引きこもり」という鎧を纏う人もいれば、なんとか楽をして生きようとする人もいるだろう。

その為には親の手厚い保護が必要だし、それも永遠に続く訳ではない。それ以外で考えると物凄い資産家の家に生まれるか、もしくは特殊な金儲けの手段を手に入れているか、もしくは週に数日だけ働いて十分に稼げるような芸能人のような特殊技能を身につけている必要があるし、そうでなければ自ら起業して自ら関与しなくてもいいようなシステムをつくっていくしかない。そのほかで考えれば、株などの金融商品で労働無き富を得ていくという方法もあるだろう。

が、一般的に生きていれば、到底そんな生活は望めるべくも無く、誰もが忙しさの中ストレスを抱えながら日々を生きていくことになる。

その「忙しさ」だが、例えどんなに忙しくても、心がギュッと締め付けられるような「ストレス」を感じない仕事の内容、例えばその場に居ることが重要であり、何かを考えたり、何かを解決したりすることを期待されず、ただただこなしていけばいい「量」の「忙しさ」であれば、恐らくその負担が身体に与える影響は物凄く違った意味を持つのだろうと思わずにいられない。

現代社会である程度の責任のある職務をこなしていくとなると、そんな仕事を求められる訳ではなく、自ら職業的能力を発揮し、日々止め処なく発生する問題を会社の利益を考慮しながら限界まで精神を追い込まれながらもなんとか処理していく、そんなギリギリのストレスのかかる仕事がほとんどとなってくるはずである。それをこなしていくからこそ、その人の職能も向上し、更に上の職責を与えられ、できることも拡大していく。

「頑張ったけど出来ませんでした。次は上手くいくように努力します。」で、「大丈夫、大丈夫。なんとかなるから気にしないように」とカバーしてもらえる大らかな仕事の在り方は既に望める訳も無く、その凶暴性をむき出しにした国際競争時代の現代では、「あなたができなければその地位を望み、その為に努力を惜しまない多くの人間が待っている」というなんとも過酷な時代になっている。その中でも、競争に勝ち、より上で勝負を望むのであれば、過酷な「ストレス」伴う「忙しさ」を日々、涙を呑みながら享受していかなければいけない。

なぜそんな過酷な「忙しさ」と「ストレス」を日々受け入れて生きていくのか?それは自分一人の為であるならば、相当な高い自己実現への野望を内に秘めていなければならないだろうが、多くの人間がそうではなく、やはり「家族」の為だからこそ、受け入れられるのだろうと思わずにいられない。そう思うことでのみ、日々への意味づけが成されることになる。

こんな時代だからこそ、今まで別々に「忙しさ」と「ストレス」に向き合ってきた大人二人が生活を共にしていく現代の結婚というのは今までとは違った意味を持ってくるのだと思わずにいられない。

二人が共に生きることで、二人とも全方面に「忙しさ」と「ストレス」を被るのではなく、この部分はこちらが担当し、この部分はもう一人が引き受けるという役割分担することによって、一人ずつで生きていたときよりもお互いの負担、感じるストレスを少なくしていける。それが現代社会における結婚の大きな効用でもあるだろう。

自分の為ではない、家族の為に生きること。それが行動の判断基準になること。それが大人になるということであり、結婚して共に生きていくことだと改めて思う。如何に自分よりも家族を上位において物事を捉えられるのか?そんなことを思うのも今日が「いい夫婦の日」であり、結婚記念日であるからだろうと思わずにいられない。

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