2013年11月28日木曜日

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」 辻村深月 2012 ★★

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2013年おすすめ文庫王国 エンターテインメント部門 第1位
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電車に乗るなどの移動時間を持たない日常を送っていると、読書をするためにはどうしても目的を持って時間を作るか、もしくは食事や徒歩などの「ながら読書」をするしかなく、必然的にページの進む速度は遅くなる。

そんな限られた読書時間ならば、職業的向上に繋がる専門書を読むべきだとは頭で理解しても、更に遅遅として進まないページに苦しみながら、そしてまた戻って来てしまう文庫本。その文庫本もつい先日に泣く泣く読み終えることなく閉じたばかりなので、そのリハビリという訳ではないが、サラリと読めそうなものを選び出す。

「ツナグ」の作者。人間としての根源的なテーマと、現代社会の問題をオーバーラップさせながら物語を展開していく作者の視点が捉えたのは、母娘の関係と地方都市に住まう女子の格差問題。

どこにでもありそうな地方都市に生まれた主人公は、いわゆる「いい家」で育ち、優秀な兄を追うようにして進学高へと進み、当たり前の様に名の知れた東京の大学へと巣立っていく。幼馴染の友達は中学まではここが世界の中心と言わんばかりに同じ時間を共有するが、高校進学と共に進む道が徐々に乖離していき、その距離に比例するように疎遠になっていく。

東京の大学を出てから、女性誌のコラムを書く仕事をするようになる主人公は、母親に請われるようにして地元に戻り、地元から出ることなく、そのままの人間関係で日常を生きるかつての友人と再度交流を始めるが、離れていた時間が作る溝はいつまでもそこに横たわることとなる。

地元が世界の全てである女子の視点。東京を経由して、ここは私の居場所ではないと心のどこかで思う女子の視点。パラサイトしつつも、高級ブランドに身を包み、結婚のみが自立への出口である女子達にとっては、少しでも「イケてる」男を捕まえようと祈るように参加する合コンがその序列を作り出す。

どうにかすれば、誰でも自分が誰かに当てはまるどこにでもある風景の中のどこにでもあるコミュニティ。その中で起こったある事件をきっかけに、「かつて交わした約束」を思い出し、自らの過去も同時に清算するかのように事件の中心人物となった幼馴染を追う主人公。

地縁の中の狭い狭いコミュニティで生きるが上の生きにくさ。

帰国子女でキャリアを重ねる幼馴染の同僚が発する言葉、「あの人は生きる事に対してのモチベーションが低すぎる。世界を知る事が出来なかったのは全て親のせい。そうしていつも逃げて生きているからイライラする」

外からの視点を得る事ができたのは、外に出る事が出来たからであり、それはもちろん本人の努力もあるだろうが、そういうことを可能にしてくれた親の関与が如何に大きいか?そして外からの視点を持つことがこの地で生きていく上で本当に幸せな事なのか?

現代日本の中心と周縁としての東京と地方の姿を、一方的な格差ではなく、その考え方が正しいのか?と問いかけるかのように物語りは進行する。限られた世界の中で限られた地縁の中で生きる彼女達。歳を重ねればかつての自分達の化粧を脱ぎ去り、自分もこの世界の中に埋もれていくとどこかで理解しながらも、それでも少しでも「イケてる」青春を過ごそうとあがく。

その空気にうまく烏合できない彼女はどうやって生きていけばいいのだろうか。決してその世界から逃げ出す事もできず、地縁を切る事も出来ない彼女はどうすればいいのだろうか。

どこの地方都市のどの飲食店でも見られるような年頃の女子数名による女子会。その楽しげな雰囲気の奥にひっそりと隠された空虚感。誰もそれに気がつきながら、誰もがそれに目を向けないようにして、どんよりとそこに横渡る。そんな目につきにくい現代社会の一面を見事に描き出している一冊だろうと思わずにいられない。



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