2013年7月16日火曜日

飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ) ★★★

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所在地  岐阜県高山市一之宮町一の宮上
主祭神 水無大神
社格  飛騨国一宮
創建   不詳
機能   寺社
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衝撃的な遭遇の興奮が醒め止まぬまま、怪しくなってきた雲行きをいぶかしみながら、本日最後の訪問地であり、中心地に集中していた他の訪問地とは違って市の南部に位置する飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)へと車を走らせる。

フロントガラスにポツポツと落ちてくる雨に「なんとかあと10分持ってくれ」と願いながら見えてくる一の鳥居。流石は一宮らしく、ゆったりとした配置で、鳥居脇の駐車スペースに車を滑り込ませ、既に降りてくることへの期待も抱かなくなった三人を置いて駆け足で車を降りていこうとすると、「私もお参りしてくるわ」と母親が一人でゆっくり歩きながら境内に向かっていく。

「きっと、何か感じるものがあったんだろうな」と思いながら、自分は日が暮れ、夕日をいっぱいに浴びて焼けるような赤色に変わりだした鳥居をくぐり、広い境内に散らばる末社などを一つ一つ参拝していくことにする。

ふと目をやると、一人で砂利を敷き詰めた足元の悪い広大な境内を一歩一歩進み辿りついた神門でお参りをしている母親の姿を見つける。そしてその先に目をやると、神体山として祀られる位山(くらいやま)の姿を捉えることが出来る。

その空気が整った境内を眺めていると、飛騨国の鎮守として長きに渡って朝廷から崇敬されたのが良く分かる。ちなみに社名の「水無」は「みずなし」「すいむ」と読むこともあるという。

拝殿右脇に位置する稲荷神社を参拝し、境内を抜けて帰っていこうとすると、沈みいく夕日を目の前にすることになる。横から差し込む赤い光をなった一日の最後を示す太陽の明かりを受ける絵馬殿では、近所の住む家族と思われる二組小さな子供ずれのお母さんの姿が。

広い絵馬殿を楽しそうに駆け回る子供達の姿を見ていると、この場所が地域に長く愛されて、そして護られてきたんだと実感する。そして折角だからと「この絵馬殿はどうやって使われているんですか?」と質問すると、「そんな特別な使い方はされてないようですけど、茅の輪くぐりの時に雨が降っちゃったらここに置いてやってるくらいですかねぇ」と教えてくれる。

調べるとつい先日行われた夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)は半年ごとに行われる「二季の祓」の一つで、半年間に背負った罪穢(つみけがれ)を解除(げじょ)し、本来のあるべき姿に立ち直るための儀式としてこの神社では長く行われているらしい。

その境内が「ハレ」の場になるその日の風景を想像しながら、「ありがとうございました」と挨拶をし絵馬殿を降り、鳥居をくぐって車に帰る。

そうして母親に「なんで、ここだけお参りに行ったの?」と今日の宿に向けて車を走らせながら聞くと、「うーん、なんでだろうね。なんか良い感じを感じたからかもね」。と老人らしい曖昧なリアクションを返してくれる。




















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