2013年7月25日木曜日

鞍馬寺 770 ★★★★


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所在地 京都府京都市左京区鞍馬本町
山号 鞍馬山
宗派  鞍馬弘教
寺格  総本山
創建  770
開基  伝・鑑禎
機能  寺社
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以前京都に来たときに、老舗の旅館に勤めているロンドン時代の友人から、「京都の夏と言えば、貴船で本物の川床です。鴨川の納涼床とは風情が違いますよ」と進められ足を運んだ話を妻にしたら、「私も行ってみたい」と言い出すので、せっかくだからと夜に予約した貴船のお店。

予約時間が迫っているので、三千院から市内に戻っている時間はなさそうということで、洛北の山を横切り一気に鞍馬・貴船エリアへと向かうことにする。「あわよくば、食事前までに貴船神社までいければ最高・・・」と淡い期待を込めながら車を飛ばし到着する鞍馬山。

この鞍馬山。言わずと知れた京都北部の霊峰。牛若丸として知られる源義経が若かりし頃、政に巻き込まれないようにとこの鞍馬寺に入れられて、山の中を走り回っては武芸に励んだ場所でもある。

そして義経に武芸を教えたといわれるのがこの山の天狗。鞍馬山の天狗は僧正坊と呼ばれ、日本全国の天狗の総元締めをしているらしい。その威を示さんばかりに麓の駐車場には大きな天狗の置物が置かれている。

看板に言われるままに横の土産屋に入っていって駐車場台の500円を支払う。そして道を曲がって見えてくる仁王門(におうもん)をくぐり、横の受け付けで愛山費といわれる入山料200円を支払おうとすると、「もうロープウェーが止まってるからお金はいいですよ。歩いても30分ほどなので、参道を行ってください」と気のよさそうな係りのおじさんに言われる。「なんて懐の大きな山なんだ・・・」と思いながらいきなり急になる坂道を歩き始める。

「歩いても30分くらい・・・」というくだりが妻の耳にも届いていたか心配になり、チラッと顔色を覗くが思いのほかひんやりとして如何にもマイナスイオンが飛び散っている空気が気に入ったようで、至極ご機嫌で坂道を歩いている。

暫く歩くと右手に背の高い滝が見えてきて、名前を見ると「魔王の滝」と如何にも仰々しいネーミング。何処を見ても生える植物の湿度がかなり高めのようで、徐々に落ちてくる日の影響もあって、随分と暗い感じの参道となっている。

また暫く歩くと左手に見えてくるのが由岐神社(ゆきじんじゃ)。急な山の地形に沿うようにして鳥居と階段が配されて、拝殿をくぐると急な階段の左右に3本の巨大な杉の神木が見えてくる。上を見るとシルエットになったその杉の大木の上に、飛び回る天狗の姿でも見えそうな気になってくる雰囲気。

創建が940年といわれる、鞍馬寺の鎮守社。通称靫明神(ゆきみょうじん)と呼ばれ愛されているようであり、確かにこの神社の周辺はとても良い気が流れている。妻もそれを感じ取ったのか、「ここいいわー」ととても気に入りご機嫌様子。「坂道が続いて疲れてきて機嫌が悪くならないうちにとっとと上まで上がってしまおう」とペースを上げる。

九十九折参道(つづらおりさんどう)と呼ばれるだけあって、その後は暫く坂道を上がっては折れて、再度上がっては折れての繰り返し。先がどれだけあるのか分からないので、徐々に精神的にも溜まってくる疲労。清少納言が『枕草子』で「近うて遠きもの、くらまのつづらおりといふ道」と歌ったのがこの表参道という。

やっと何か見えてきたと思うとそれは中門(ちゅうもん)。ここをくぐると一気に整備された段と敷石の道となり、つまりは坂の角度も急になる。「これを曲がれば本堂か?」と思いながら、また一つ階段のぼり、やっとたどり着くのが本殿金堂(ほんでんこんどう)。

バーッと開けた景色の中に、朱色の本殿が眩しく見える。本殿前には円形状の石畳。これは「金剛床(こんごうしょう)」と呼ばれ、宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化する、ということを表現しているパワースポットという。

それも凄いが、その前から見える比叡山への風景。頭の上からは蜩の「ケケケケケケケケ」という音が木霊して、なんとも霊験あらたかなこの山の空気を再度深く感じる。

なんといってもこの鞍馬寺。平安京を築いた時の桓武天皇は是が非でもこの遷都を成功させるべく、鬼門の方向に鬼門封じとして最澄を持って比叡山延暦寺を置かせ、正面入口の羅生門を護るために西寺と東寺を作り、東の守りを空海に託し、さらに最後の仕上げとして北方を守護するためにこの鞍馬寺を建立して結界を完成させる。

「四神相応(しじんそうおう)」の思想から一番力の強い場所を持って都とするのに相応しかったこの京都の地。四神(しじん)と呼ばれる東西南北のそれぞれの方向にすむ伝説の聖獣。東の青龍は豊かな川の流れがあり、西の白虎は大きな道のあるばしょで、南の朱雀は平野や海が広がり、北の玄武は山があるという。

それが平安京にどう対応するかと言うと、東に鴨川、西に山陽道、南に巨椋池そして北にはこの鞍馬山。桓武天皇にとって、十分に信じるに値する適地であった訳である。その北の玄武を強化するためにも鞍馬山の建立へとつながるという。

嘘か信かは誰にも分からないが、それでも平安の香りを残しつつ今でも京都が多くの人々に愛される場所であり続けるのはやはり何かしらの理由があるのだろうと想像する。

境内奥から延びる更なる山道を登っていくと、その先には鞍馬寺の奥の院魔王殿(おくのいんまおうでん)がるというが、流石にこの状況で妻に「更に登るよ」と言い出す勇気は無く、大きく深呼吸をしている妻に合わせて伸びをして、「さぁ、川床に行こうか?」とテンションをあげて帰り道の下り坂に足を向ける。






































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