2012年9月14日金曜日

「藤本壮介|原初的な未来の建築」 藤本壮介 ★★


「弱い建築」という言葉と共に、颯爽と現れた新時代のヒーロー。

今までの言説とはまったく違う、現代の時代感覚から生まれるような特殊でそれでいて魅惑的な数々の言葉を建築の世界に引き込みながら、建築の根本的な部分に向かって挑戦をし続けて、そのアプローチは極めて東洋的な趣を見せる。

コルビュジェやミース、カーン達が見ていたであろう建築の根源の問題。そこに向かってひたすら石を投げ続け、その姿勢を変えることなく、あっという間に日本のトップ建築家の一員になったかと思えば、さっと世界で戦う土俵に主戦場を移し始めている。その浮遊するような、飄々とした軽さ。その建築の持つ軽さは、一世代前に叫ばれた「軽さ」とは根本的な違いを持つ。

これほどまでに短期間に世界まで羽ばたいていった日本の建築家はいまだないのではないかと思うが、言語に依拠しないその建築への姿勢と建築言語は、空間という本来、言葉に置き換えることができないものの本質を捉える為には、言葉に頼らない分かりやすい図式がより適しており、当初より非常に戦略的に組みたれられたであろうその一連の作品発表の仕方を見ても良く分かる。

兎にも角にも、どこの大学でも学生達に課題を与えればあまた出てきていた、ちょっと前の「妹島的な作品」が、今では恐らく「藤本的な作品」へと変貌しているのだろうと創造するが、闇雲に既存の建築の常識を疑い、壊していくだけではその高みには到達できないと同時に理解する学生はそうそう多くはないだろう。

という訳でこの現代建築家コンセプト・シリーズ。若い建築家が今までどういう風に建築を考えて作ってきたか、そして作っていくか。その一連のコンセプトをその建築家なりのプレゼンの仕方に沿って世に見せるという形で、非常にざっくり、キャッチーな形で門外漢にも分かりやすい形式に纏められている。

主な内容は以下の10点。

① 巣ではなく洞窟のような
② 5線のない楽譜/新しい幾何学
③ 離れて同時に繋がっている
④ 街であり、同時で家であるよう
⑤ 大きな樹のなかに住むような
⑥ あいまいな領域の中に住む
⑦ ぐるぐる
⑧ 庭
⑨ 家と街と森が分かれる前へ
⑩ ものと空間が分かれる前へ

ゼロ年代前に語られていた建築の言説は、できるだけ門外漢を引き入れないようか知らないが、どこかから哲学の言葉などを引用してきては、ある知識を共有した人にしか分からない様なジェスチャーをすることによって、大文字の建築に隠れた自分の地位をより特別なものにしようとし、建築という空間やデザインで世に問うことを放棄し、ただただ言説による知的ゲームに終始した。そんな排他的な雰囲気を醸し出す建築が数多いたが、恐らくそれに違和感を感じ、恐らくそれらの建築家よりも膨大な知識を持ち、真摯に自分が建築に何ができるかと考え抜いた末に、建築関係以外の人にも分かる形で説明する言葉を得たのだろうと想像する。

膨大な知識と、膨大な時間に後押しされてはじめてできる分かりやすい言説。

学生がその分かりやすさだけをピックアップし、これなら自分もと、前段階の膨大な研究や知識の蓄えの時期をすっ飛ばして、美味しい果実に飛びつこうとする。そんな浅はかさを持つ学生は、その頂の高さを感じることすら無く建築から離れていくことになるのだろうか。

他のいくつかの著書や作品集を見ているが、若い時期から悶々と考え続けてきたことがどんどん具体的な形を持って世の中に送り届けられていて、それと併走するかのように沢山の言葉達が頭から溢れてきている。そんな無限の広がりを見せる文章が多く見て取れ、読んでいてもとても感動的である。

しかしこの現代建築家コンセプト・シリーズ。作品集や自らの建築論を出版するまでいたっていない若手の建築家が何を考えいるのかをさらっと知るにはいいのだろうが、著者のように他の著作や作品集が充実してきている今では、はっきりいって位置づけが曖昧すぎて、手にする意味がよく分からなくなっている感はいなめない。
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目次
・藤本壮介とは何者か?-I
「弱い建築」からの脱皮 伊東豊雄
・藤本壮介とは何者か?-II
直角のない幾何学 五十嵐太郎
・藤本壮介 原初的な未来の建築
・人工の建築、自然の建築
対談 藤森照信×藤本壮介
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