2012年2月5日日曜日

ホキ美術館 日建設計 2010 ★★★★

















室から線へ。

美術館という建築は、各展示室という部屋に細分化されて、その部屋をテーマに沿ってたどっていく。それが現在見られるほとんどのタイプであるのは間違いない。

なぜなら、展示する側が展示の規模やテーマをコントロールしやすいからで、今回は作品数が少ないから、半分の部屋だけで完結する展覧会というのにも対応できたりと、最大公約数的な考えからくる解答である。

それに対して、ホキ美術館は美術館を部屋という単位で捉えるのではなく、作品を見ながら歩く距離という考えだけを手掛かりにまったく新しい美術館の在り方に辿り着く。

各部屋をグルリと周り、その次の部屋に移動してまたグルリ。その繰り返しとしてグルグルしている線分を一度まっすぐに伸びしてみる。

それが美術館の体験。

今度はそれをできるだけ少ない回数で折りたたみ、敷地から取れる最大の直線に当てはめる。

まっすぐだけでは体験に芸がないので、先が見えないくらいに、ゆったりと湾曲させる。

その最大線分をたどることとして、できるだけ作品以外と正対していない時間を省く。

写実の世界に没頭できるようにと、、今度は展示空間にも作品と自分以外のものを排除する。それは展示空間における凹凸をできるだけ消去する作業となり、手すりなどに見えるように、入り隅のないシームレスな納まりが影の落ちない空間をつくり、ニュートラルに作品に向かい合える時間を提供する。

目的がはっきりしているから方法も明確になり、後は余分な要素を排除する作業をどこまでも徹底する。

フレームレスで待ち受け、マリオンも失った一枚もののガラス開口。

壁の目地も消され、ピクチャーレールも消され、ただ白いレスの壁に浮かぶ作品。

展示室そのものが構造体となることで可能とされた恐ろし程のキャンティレバー。

チューブの中を散策する体験が単調にならないように、平面方向にも断面方向にもずらされたそれぞれのチューブの関係が見え隠れする配置と、狭いところと膨らんでいるところをつくることでの場所性の操作。

そして内部を包む素材、身体に触れるものすべてが柔らかく、余分な音を吸収する。

それらの要素を個別に思いつくのはおそらく可能であろうと思うが、発注者がいる建築という職能のながで、そのすべてのビジョンを発注者に納得させる設計側の熱意と力量。それを生み出したのが大手設計組織である日建設計という現実。これがアトリエ系と呼ばれる建築事務所の作品でなく、この仕事を成し得るために居るべき場所に居たのが彼らで、成し得る為に必要な技術を確かに持っていたのも彼ら。技術は頼るのでも、使うのでもなく、目的のために利用するのだと厳しくも教えてくれる。

学生時代に教えられた傑作と言える建築の一つの共通点は、一筆書きだということ。単調ではなく、空間を楽しんで歩き回るって気が付くと、最初の場所に戻っている。そんな建築的プロムナード。それを実感したのが、学生時代に見に行ったロッテルダムに建つOMAのクンストハル。

そのクンストハルに匹敵する現代の傑作美術館と言って間違いない、ある種の正解としての建築。

こんな建物がハウスメーカーの建売住宅が並ぶ凡庸な住宅地の中にそっけない顔をして建っている。後方部のダイナミックな表情が前面に出てきても何ら問題のない、それくらい豊かな街並みが日本にあればと願わずにいられない。

この美術館を見た後に、個人の設計事務所はいったいどんな美術館を想像するのか、間違いなくそれが問われるような、喉元に切っ先を突きつけらるプレッシャーを感じながらで日々を過ごす必要があるのだろう。




































































































































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