2010年12月4日土曜日

「街並みの美学」 芦原義信 1979 ★★★











武蔵野美術大学図書館(藤本壮介)を見に行って、印象に残っていたのはその横の芦原義信による武蔵野美術大学アトリエ棟。グリッド状に上下2層に配された中庭空間を学生達が自由に使って、声の聞こえてくるとても穏やかな空間だった。そんな空間を見た後に、名著「街並みの美学」を読み返す。学生の時に読んだ痕跡が残っているから、10年振りというとこだが、やはり含蓄深いよい本である。

1 空間領域に関する考察
・内部と外部では「建築とは自然から切り取られた内部の空間を含む実態のこと」と定義し、床、壁、天井という3要素によって実態的に限定され、限定された大きさを有する内部空間としての建築の宿命として際立った境界線を必要とする。無限の大きさの建築というものがありえないように、建築の本質に境界の存在がある。つまり建築の歴史とは「内部」と「外部」とを区別する技術であり、境界から内に向かって求心的に空間を秩序立てる方法とする。

日本では、靴を掃いている空間は「外部」、靴を脱いでいる空間は「内部」でそこに現れる重要な違い。和辻哲郎『風土』を引きながら、西洋式ホテルと旅館での「内部」と「外部」との境界の置き方に注目し、西欧的雰囲気は独立した個の対立による外的秩序の空間で、日本的雰囲気は個の集合による内的秩序の空間とする。

・壁の意義では、最も大切な境界は「壁」の存在であり、ヨーロッパの住まいにおける庇護性としての壁の意義を描く。組積造と軸組み構造に現れる壁の厚みの違い。真壁造りに代表される日本の壁は柱の寸法より小さく、柱より飛び出しているのは長押と天井回り縁のみ。熱伝導率の小さい畳式の家屋では、床面にじかに布団をひき、組積造の家の熱伝導率が畳より大きい石では、身体と床面を離す事が必要とする。組積造でが窓や出入り口は厚い重い壁からくりぬいたものであり、軸組み構造では柱と柱の間を以下に埋めて壁を作るか。

・都市の囲いでは、都市においても「境界」が存在する。アッシジ、サンジミニャーノのような城壁都市では、一軒の建築のように都市が存在する。L・マンフォードの「誰でも都市の中にいるか、外にいるかのどちらか」という言葉をひき、境界が無いと不安というサン・テグジュペリの「城砦」に言及しながら、日本と西欧の秩序空間の境界線の違いを描く。

2 街並みの構成
・街路と建築との関係では、イタリア人は出会いの場としてピアッツァを、イギリス人は出会わない休息の場としてパークをもち、「はじめて訪れる時は地図をもつ。そこに描かれている街路が退屈であれば都市も退屈」という、ジェーン・ジェイコブスの言葉より、田圃とあぜ道との関係の様に、人が歩いて道になるという自然発生的村落形態の延長としての日本の街路の成り立ちと、起点・終点はっきりした西欧の街路の違いを論じる。街の中に誰かがなんとなく見張っている・ストリート・ウォッチャーの不在する日本の街路を描き、かつての京都の木格子では、暗いほうから明るいほうをみることができるが、明るいほうから暗いほうは見えないという内部からの母親の領域性を発見する。

・街路の構成では、イタリアでは外壁の足元まできちっと舗装されているのに対し、残部空間として現れる日本の街路から、
ゲシュタルト心理学のエドガー・ルビン「盃の図」を経由し、メッツガー『視覚の法則』の実際に見ることが出来るのは 「立体」とかの印象を与えるものだけ、という言葉を介して、境界線はどちらか一方、同時に両者の輪郭線となることはない、とし、「図」と「地」になりうる西欧の街路に対し、曖昧な日本の街路を対比させる。

・D/H幅と高さの比率では、ダ・ヴィンチが理想としたD/H=1に対して、バロックのD/H=2、京都のD/H=1.3の意味を描く。

・広場の美学では、ヴェローナのエルベとシニョーリ広場、シエナのカンポ広場、ボローニャのマジョーレ広場、ヴェネツィアのサン・マルコ広、ローマのカンピドリオ広場、バロック期のローマのサン・ピエトロ広場、ナヴォーナ広場を紹介し、広場が広場として成立する条件として
①境界線がはっきりしていて「図」となりうること、それは建築の外壁がのぞましい
②閉鎖条件をよくするような「入り隅」のコーナーをもつこと
③境界まで舗装が完備、空間領域が明瞭 
④統一と調和 D/Hが良い比率
とする。

・入り隅みの空間では、元来なかなか成立しにくい都市における入り隅の空間を開設し、「図」としてより見やすくなり、水の流れがよどむ様に、人々がたむろする空間として都市への導入を進言する。

・サンクン・ガーデンの技法とインメディアシーの原理では、質の高い閉鎖的な外部空間として、一部を道路面より下げて、低い庭としてのサンクン・ガーデンの例としてロックフェラー・センターを挙げる。外部に開かれたその例に対し、自己完結的な独立した空間、環境から遮断として日本の新宿御苑、六義園、小石川植物園が挙げられ、半閉鎖式の例として、日比谷公園が挙げられる。

・建築の外観の見え方に関する考察 -第一次輪郭線と第二次輪郭線ーでは、外壁から突出しているものが街並みを形成している日本の現状より、建築の本来の外観を決定している形態を第一次輪郭線。突出物や一時的な付加物による形態を第二次輪郭線とし、アジア諸国の街並みは主に、第二次輪郭線で決定されている。それはつまり、ゲシュタルト的な「図」となることを不可能とする。

・俯瞰景 - 見下ろすことの意味では、モンマルトルの丘のサクレ・クール教会、ローマの7つの丘など都市における見下ろすの重要性を説く。俯瞰景を増やすこと、坂のある街、階段のある街、丘のある街、港の見える丘がある街が魅力的だということを解説する。

3 住いや都市環境への提言と工夫
・小さな空間の価値では、都市における「小さい空間」にはどのような意味がるか再考し、便利さ、スピード感、匿名性という都市の魅力に対し、その逆として、個人的、静寂、創造的、誌的、人間的が求められるとする。代表的な例として、「庭付きの住まい」のスケールとして、実際自分が手をだせる自然があることが重要とする。

・夜景-「図」と「地」の逆転では、郷愁とかあるいは逆に生きがいなどは夕暮れから夜にかけて感ずるのかもしれない、という言葉から始まり、夜景における窓の意味を、反射光でモノを見る場合、透過光でモノを見る場合の反転としてとらえる。開口部の大きい和風建築は昼の建築であるに対して、北欧などの空間は反射光による室内の構成とする。

・記憶に残る空間では、ケヴィン・リンチの「都市のイメージ」より、都市は人々によってイメージされるものである、それゆえに、わかりやすさは、パス paths, エッジ edges ディストリクト districts ノード nodes ランドマーク landmarkより決定され、日本に都市における威厳や気品、沈着、忍耐を現す樹木の少なさを嘆く。同時に、日本の都市を小説に書くことは困難とし、対極にブラジルの新首都・ブラジリアを解説する。

4 世界の景観の分析
・いくつかの問題点では、土地所有者の私権の擁護がはるかに優先された東京の街並みの、重要道路沿いの商業地区の指定は、一体どのような都市のイメージでできているのか?この土地とは関係ない通過交通が通り過ぎてゆくのは無残極まりないとする。

・パディントンのテラス・ハウスと京都の町家では、ヴィクトリアン・スタイルのテラス・ハウスが建ち並んだシドニーの古い住宅地の装飾的なすかし模様のある駐鉄製の手摺が街並みとして統一感を与える例を紹介。

・チステルニーノとエーゲ海の島々では、一軒の大きな建築のような都市の例を紹介する。

・ペルシャの街 - イスファハンでは、テヘランをイランの東京、イスファハンを京都となぞらえ、「メイダン・イ・シャー」王の広場前の線状のバザール街・ナダール・アルダランの建築空間的には焦点がないことを解説し、扉とか間仕切りというものがなく、全ての空間は連続している空間性を紹介する。

・チャンディガールとブラジリアでは、ル・コルビュジェの図面の美しさ、一枚の図面によって表現されることを大切にしている姿に対して、その建物の使いにくさ、住みにくさを率直に表現し、それに対して、ルチオ・コスタのブラジリアの可能性を説く。

5 結び—近代建築のゆくえ
・あとがきでは、和辻哲郎の言葉、塀は町の周囲につくるものであって、庭園の周囲につくるものではない。ということで締める。

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