2016年11月7日月曜日

オランジュリー美術館(Orangerie Museum, Musée de l'Orangerie) フィルマン・ブルジョワ 1852 2006 ★★★★★



すっかり訪れたことがあるつもりになっていたが、よくよく考えたら初めて訪れた大学生時代には1999年に開始された改修工事がすでに始まっており、ロンドンに住んでいた時代にもその改修工事は終わらず、2006年に改修終了した後に訪れた際には結局足を運ぶことが無く、噂に聞くモネの睡蓮の為に作られたという空間を体験していないのかとはっとして、「今回こそは」と訪れたのがオランジュリー美術館(Orangerie Museum, Musée de l'Orangerie)。

アンヴァリッドから北に向かいセーヌ川を渡り、黄色に色づいた川沿いの並木道を落ち葉を踏みしめながらコンコルド広場の観覧車を見上げ、目の前に見えてくるテュイルリー公園(Jardin des Tuileries)にどこから入れるのだろうか・・・と思っていると、角の柵に「オランジュリー美術館はこちらから」と垂幕が張られており、それに促されてゲートを潜ると目の前にかつてテュイルリー宮殿のオレンジ温室だったという建物を改修してつくられたというオランジュリー美術館が待ち受ける。パリのど真ん中の1区に足を踏み入れたのがひしひしと感じられる。

建物自体はオレンジを貯蔵するための建物として建築家フィルマン・ブルジョワの設計によって1852年に建設され、その後紆余曲折を経て、美術館へと設計変更が行われたのが1921年。そしてその美術館の中にすでに巨匠として世に認められていたクロード・モネが、連作の「睡蓮」を描くために、「自然の光の差し込むパノラマの展示室がほしい」という要望に応えるために大々的な改修が行われ、1927年に改修が完成することになる。

しかし、その後寄贈された更なるコレクションを展示する空間を二階部分に増設する工事が1960年代に執り行われたために、モネの「睡蓮の間」に差し込む自然光は失われてしまうことになる。

モネが望んだ当初の自然の光が差し込む空間へ再度改修を行おうと、大々的な改修工事が始まったのが1999年。7年という長い年月をかけつつも、見事に均質で柔らかい自然光の差し込む大パノラマの空間が並列する空間として2006年に世界に向けて公開されたという訳である。

かつて睡蓮への光をさえぎったコレクションの数々は、今度は地下空間へと場所を移動し、所々天窓から差し込む自然光に照らされながらも、ルノワール、セザンヌ、ルソー、マティス、ピカソ、モディリアーニと、近代絵画の歴史を彩る様々な巨匠の作品で迎えてくれる。

建築家という職業上、様々な場所に足を運ぶわけであるが、それでも「どれだけ長い時間でもい続けることができる」。そんな思いを感じられる場所はやはり多くは無く、そしてこのモネの「睡蓮の間」の展示室は、間違いなくその中に入る場所であると感じながら、また美術館を設計する仕事に携わる上で、この場所を体験することができたのは、美術館という建築の力を再認識する上でも大きな意味を持つと思いを馳せながら美術館を後にする。


パリ1区



























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