2016年2月17日水曜日

地域を消化していくこと

グーグルマップを頼りに、古刹や名所、繁華街や建築物などを中心に、日本の各地方を巡る。そこで見たり、聞いたり、食べたり、知ったりすることを元に、再度ネットで調べたり、本を読んだりする。

見たいものしか見ないようになったこのネットの時代に、見えなかったものを見ようとする一つの手段であるのが、こうして身体を行くはずの無かった場所に置いてみること。そうすることで、その場所にしか流れていない時間の在り方や、風景、人々の生活が少しだけ垣間見えてくる。

その土地に生まれ、その地域で育っていれば、当たり前のこととして身体の中に入っていくであろう様々な習慣。中心の神社で行われる夏祭りの賑わい。夕日に照らされる川の表情。新しくできた美術館への人の流れ。伝統産業が集まる表通り。地元の誇りである歴史上の人物。どこの高校が優秀であり、どこか街の繁華街か。そして美味しいと有名なお店など。

そんな誰もが持っている、その地域への理解。言葉にできないなんとなく地域の中で共有され、その共有されたイメージが全体としてその地域を作り出しているもの。

日常を長い時間かけて過ごすことで、徐々に身体化するその地域性を、ほんの数日その場所を通り過ぎるだけで理解しようとするのはもちろん不可能であるが、少しでもそこで生きる人々がどんな風景を原風景としてその場で生きるのか、何をもってこの街の空間として記憶していくのか、そんなことを実感のある理解として消化していくことは、建築や都市といった様々な人々の総体の体験としてのものを相手にする建築家にはとても必要な作業である。

その為にはその土地を訪れるだけではなく、その土地が題材となった小説や映画を読んでみたり、その土地の歴史や今後の計画を少しでも理解していくこと、その積み重ねが、総体として日本という場所を理解する何かしらのきっかけになるのだろうか。

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