2016年2月16日火曜日

尾張国(おわりのくに) ★★ 東海道


実家のある岡崎は旧国では三河国に属する。今日は両親と妻と連れ立って、名古屋を経由して岐阜まで足を伸ばして、いくつか見てまわりたかった神社と建築を巡ってくることにする。愛知県出身であれば、尾張か三河のどちらかに属することになり、その地域性の違いは育っていく中でなんとなく感じ取ることができる。腰の重いどっしりとした三河人に対し、物流の要であった尾張では人柄もなんとなく垢抜けている。そんな尾張国(おわりのくに)。

京都から東に太平洋沿いに伸びる東海道に属し、戦国時代を駆け抜けた織田信長、豊臣秀吉を生み出し、最後にはお隣の三河国出身の徳川家康に天下を持っていかれるが、戦国の時代の舞台として一気に日本の歴史の真ん中に踊りだすこの尾張。

その頭文字をとって、尾州(びしゅう)と呼ばれるが、今年は何と言っても大がドラマの真田丸で活躍する織田、豊臣由来の数々の戦国武将が生まれた土地でもある。柴田勝家、前田利家、池田輝政、山内一豊、加藤清正、福島正則、佐々成政などなど、真田丸のお陰で役者の顔だ思い出され、その性格もなんとなく理解できる猛者を歴史の舞台へと押し上げていった土地である。

尾張といえば、織田・豊臣であり、徳川が最後まで天下捕りを争った相手であるからこそ、天下を手中に押さえた江戸時代においては、その土地に根強く残る勢力を一層すべく、徳川御三家の尾張徳川家をこの地に構え、揺るぎない治世を築いていくことになる。その尾張藩は62万石という、全国でも極めて強大な石高を与えられ、豊かな国力に支えられ、現在の名古屋市に繋がる全国屈指の巨大都市へと繋がっていく。

江戸時代末期においては、御三家でありながら早々に官軍につく政治的判断を行った為に、明治以降も比較的冷遇されること無く、新しい日本の国づくりの中にもしっかりと取り込まれたのは、やはりその地政学的特性が大きかったのだろうといえる。現在の発展の後ろには、そんな歴史や政治に巻き込まれたこの国の過去が見え隠れする。そんなこの国の場所性を少しでも感じ取るようにと車を走らせることにする。






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