2016年2月17日水曜日

音と光に快適性

中国での日常から離れ、日本でしばらく過ごしてみると、日常の中での圧倒的な快適性の違いが身に沁みる。それが一体何に現れているかと考えをめぐらせて見ると、人々の振る舞いはもちろんであるが、それよりも音と光という目に見えないものへの気配り、制御が大きな影響を与えているのだと改めて実感することになる。

例えば空港について、入国審査を終えるまでに通る通路でも、ガラスなど硬く音を反射する素材が多く使われている空間の中で、歩きやすくそして音を吸収してくれる絨毯が大きく作用し、習慣の異なる様々な国の人が訪れ、時に周りの人を気にせず大声で話す人々がいても、柔らかな吸音面のお陰で落ち着いた空間が迎えてくれる。

どこかの空港であれば、ピカピカに磨かれた大理石の床にダウンライトが反射して目に痛い思いながら、大声でしゃべる人々の声が反響してさらに身体を刺すかのように迫ってくるのだろうが、ここでは窮屈な機内から解放されて、ほっとする空間が身体にも優しい。

夜になれば自分の存在を誇示するかのように、ギラギラと照らしつけるだけの照明ではなく、間接照明を多用し、必要充分な照度を確保しつつも快適な空間になるようにとの配慮が感じられる照明計画がいたるところで感じられる。

「自分、自分」と前にでるよりも、全体としてどのような落ち着いた空間にできるか、その周囲への配慮を、どれか一つの建物が無視することであっという間に壊されてしまうその雰囲気。そのような暗黙の了解がある種の風景を創り出しているのだと改めて実感する。

目に見えないものだからこそ、その後ろにある気配りや配慮がより差を生むことになり、モノが溢れ、そこの豊かさの差異化が見えづらくなったからこそ、音と光の快適性がより重要性を持ち出したのだろうと思わずにいられない。

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