森美術館で行われている 「村上隆の五百羅漢図展」 を見に行こうとしたら、同時にイギリスの超有名建築家であるノーマン・フォスターの展覧会も同時にやっているようなので、「一体どうやって展示室を分けているのだろうか?」と不思議に思い六本木に到着する。
そうしたら何のことはなく、通常の森美術館の展示室のある階の一つ下の階で、展望台となっている東京シティビュー内の内側を「スカイギャラリー」と呼んで、少しでも空間の有効活用として展覧会を開催している様子である。
しかしかつては展望台だけの機能であった東京シティビューはゆったりとした空間で眼下に広がる東京のパノラマを見ることができたのだが、そこにある種強引に展覧会を押し込んでいるので、動線が混み合ってしまって、展望台に来た人も、展覧会に来た人もかなり窮屈な思いをしながら先を進むことになる。恐らく「インバウンド」の外国人旅行者が増え、それに対応するために少しでも多くのコンテンツを用意し、その都度料金が発生するようにと利用可能なものは少しでもコンパクトにしつつコンテンツを重ねていくという商業主義の臭いがプンプンしてくる気がしないわけでもない・・・
それにしても、世界の多くの都市でこのようなノーマン・フォスターの展覧会を行っているような気がするが、これは一体どのような意図が隠れているのだろうかと想像を膨らませながら、展示される大小様々な模型を見ながら先を進む。
ザハ・ハディド事務所に勤めていたときにも思ったが、やはり世界の一線で活躍する建築事務所というのは、展覧会が常の世界のどこかで開催されており、建築の展覧会ということでどうしても模型がかなりのインパクトを持つことになる。その為に古いプロジェクトでも必ず作成した模型はしっかりと倉庫を契約してよい保存状態に保っておく。そしてこの様な世界各国での展覧会に専門業者の手によって運ばれていく。同じこと東京でやろうとしたら、そのスペースだけでオフィスの経営業態をかなり圧迫することになるのは想像に難くない。などと、かなり下世話なことに想像を馳せながら先を進む。
場所によっては写真を撮ってはいけない模型があったり、かと思えば大丈夫なものがあったりと、恐らくプロジェクトの性質上、クライアントとの契約でそうなっているのであろうが、展覧会に来ている身としては非常に分かりにくく、まるで監視するようにあちこちに立っている美術館関係者の顔色を伺いながら撮影となる。
上記したように、円形をしたフロアの外周にそって進む展覧会で、その外には展望台としての機能を求めてきた人たちもいる訳で、その余白のスペースに大小様々な模型が所狭しと置かれているために、どうしても動線は時にかなり厳しくなる。
「やはり、ここで展覧会をするのはかなり無理なのでは・・・」と思って調べてみるが、今後も「美少女戦士 セーラームーン展」や「ジブリの大博覧会」が計画されているようで、これは2016年からの試みなのかと少々腑に落ちない。
しかし、この様な外国の規模の大きな設計事務所での仕事ぶり、そしてそこで働く雰囲気を動画などで実際に見ることができるというのは、これがきっかけになって「海外で外国人と一緒になって働くなんてかっこいい」、「自分も同じように世界に出て、彼らと同等に働いてみたい」と思うような若者もきっといるのだろうと想像する。
昨年久々に訪れたイギリスの母校のAAスクールでも、長く教鞭をとっている日本人教員が「長らく日本人の生徒を見なくなった。今の若い人はもう外の世界に出てやってやろうと思うことがなくなったんだろうね」となんとも寂しい表情で語っていたのを思いだす。
実際に外に出るのは思ったほど難しくは無いが、その先いつか訪れる「いつまで外にいるのだろう。。。」、「いつか日本に戻らなければいけないし、その時にこの海外での時間はどういう意味を持つのだろう・・・」という終わりのない不安と葛藤は誰もが体験することであるが、それでもまずは日本だけが世界の全てだと捉えずに、少しだけでも、一歩だけでも、多くの若者が世界にでていくことのきっかけにこのような展覧会がなることを期待して、上の階へと足を向けることにする。
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