2015年10月6日火曜日

香取神宮(かとりじんぐう) 神武天皇18年 ★★★


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所在地 千葉県香取市香取1697
主祭神 経津主大神
社格  式内社(名神大),下総国一宮,旧官幣大社,
本殿の様式 三間社流造
創建   (伝)初代神武天皇18年
機能   寺社
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東国三社
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長かった東関東の旅も最終目的地。この香取神宮(かとりじんぐう)を終えれば、後はこのあたりで美味しいものを食べて、満腹感の中東京へと車を走らせるだけ。

先ほどの鹿島神宮同様に、この香取神宮は「神宮」という社号を冠せられ、とても重要な意味を持つ神社として長い歴史の中で人々から広い信仰を集めてきた。「鹿島神宮・香取神宮」の二つで一体として東関東の重要な信仰拠点として機能してきた。

利根川を挟むことで常陸国から下総国(しもうさのくに)へと旧国での呼称が変わり、この「上・下」や「前・後」に冠しては、都から近いほうが「上」や「前」として名付けられており、この下総国とついになるのは上野国(こうずけのくに)であり、現在の群馬に当たる。そうして見ると確かに群馬の方が地理的には都に近いかな・・・ということになる。

香取神社といえば、「あれ、亀戸にもあるじゃない?」と思うが、関東地方を中心として全国に約400社あり、その総本社がこの香取神宮という訳である。鹿島神宮の鹿嶋市、香取神宮の香取市と、地名にもなっていることから分かるように、悠久の歴史の中で重要な場所としてこの国の基礎を作ってきた神社である。

また、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社に数えられ、東関東地域における重要な信仰の対象でもあった。鹿島神宮同様に、朝廷、藤原氏、武家から武神として崇敬されてきた神社であり、現在も武道に関する分野において厚い信仰を集めている。

実際に行ってみると良く分かるのだが、神社自体が小高い山に鎮座しており、駐車場に車を停めると、本殿脇からアプローチすることになる。現在の社殿は江戸幕府5代将軍の徳川綱吉によって造営されており、ここでも徳川家からの厚い信仰が伺える。

日が落ちぬうちにとまずは参拝を済ませ、折角だからと参道を下っていく。こちらの参道は先ほどの鹿島神宮とは打って変わり、森の中をS字にうねる様に進んでいく。その曲率も絶妙で丁度その先が見えず、進むと共に風景が見えてくる非常に期待感を高める役割を果たしている。

こちらの香取神宮にも奥宮があるというので、やや場所は分かりづらい位置にあるので神社の人に行き方を聞きながらも、徐々に暗さを増す森の中で道に迷いながら何とか辿りつく。伊勢神宮遷宮の際の古材を使用していると言われるこの奥宮は本当にひっそりと森の闇の中に佇んでおり、参拝を済ませ早足でその場を去ることにする。

すっかり暗くなった町並みを走り、古い町並みを感じさせる道幅の狭い香取市中心街へ入り込み、老舗といわれる鰻屋にて夕飯を食し、常磐道を戻りながら日常へと帰っていくことにする。
































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