2015年5月8日金曜日

身勝手な運転と分銅

この国の運転マナーは本当に酷い。「悪い」というレベルではなく、「自分以外にも運転している人がこの道路にはいる」という事実を全く無視したかのように、「この道路は自分しか使っていない」と言わんばかりの運転が本当に多い。

運転していると突然横の車線で走っていた車がウインカーを出さずに車線変更をしてくるなんていうのはざらにある話である。その際に後ろの車がどんな速度で走っているか、どの様な動きをしそうか、などという気遣いなどは皆無であり、ただただ「自分が車線変更をしたかったからした」というレベルの行動である。

走っていた車線のさらに外側に路上駐車してある車がいて、それを避けるために自転車用車線を走っていた自転車や電気自転車が車道にはみ出してきたからそれを避けるために急遽車線変更をせざるを得なかったのかもしれない。

若しくは、さらに外側を走っている車がこれまたウインカーも出さずにいきなり車線変更してきたからぶつかるのを避けるために否応なしに車線変更をする必要に迫られ、ウインカーを出したり、後方確認をする余裕がなかったのかもしれない。

そんな「・・かもしれない・・・」と希望的観測に立った捉え方をしてもそれが何十回続けば「そんなことはなく、ただただ自己中心的な行動なだけである」という結論に達するには十分である。

自分の身勝手な行動が、他の人にどれだけ危険な目にあわせたり、煩わせたりするかは全く考えない。それがここの基本のようである。

そんな身勝手な行動が、周囲の車を危険に併せたり、煩わせたりするだけではなく、局所的に不必要な渋滞を生じさせ、それが積もりに積もり全体的な慢性的渋滞に繋がっていく。各自が少しだけ「どうぞどうぞ」と周囲に気を遣うことができれば、全体としてなんとかバランスを保つことができるのだろうが、誰もそんな献身的な心は持ち合わせていない。

そんな訳で自分勝手な運転で、周囲に迷惑をかけ、それを省みない様なドライビングを見ると、なんとか報いを受けてほしいと思ってしまう。真面目に生きている人間が馬鹿を見る社会はやはりおかしいはずである。

かつて学校の理科の実験で使った秤。それに乗せる精密分銅。

それを大きくして、あたかも「キング・ザ・100トン」な巨大な鉄の錘が空から降ってきて、身勝手で周囲に迷惑をかける運転をした車を「自業自得」と「くしゃり」と潰していく。そんな妄想を膨らませることでなんとかこのストレスを自らの脳内で消化することで、なんとか心のバランスを取ることにする。

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