2015年3月3日火曜日

ミュンヘン(Munchen) ★★

現在アメリカで進めている美術館の設計の為に、現在世界で見ておくべきと思われる美術館を回るために、オフィスの3人のパートナーでヨーロッパの都市を駆け足で巡ることにする。その最初の都市として訪れたのがこのミュンヘン。

よくごちゃごちゃになるが、英語やフランス語ではその表記はMunichで[mjú:nik]と「ミュニック」と呼ばれる。しかしドイツ語ではMünchenと表記されてその響きが「ミュンヘン」となるという。有名なサッカーチームであるバイエルン・ミュンヘンが有名だからかはよく知らないが、日本でも英語表記よりもそのままの響きであるミュンヘンが使われているようである。ただし表記はドイツ語をいれたMünchenではなくてそれを英語表記にしたMunchenとする。

比較的日本でも名が知られている都市だけあって、ドイツ内部ではベルリン、ハンブルクに次ぐ三番目に大きな都市という。しかしその市域人口は140万人というから日本に比べて遥かに都市の規模が小さく抑えられているのが良く分かる。しかしバイエルン州最大の都市であり州都の役割を果たすドイツにとっては大都市である。

オーストリアのアルプスから流れてくるイーザル川の河畔に位置し、歴史の中で交易の重要な拠点として役割を果たした。川沿いの街にとり如何に橋をかけるかが交易をコントロールするかにつながり、この街もイーザル川の橋をかけることにより、塩の交易路として発展することになる。

1972年には当時西ドイツと呼ばれていたこの地において、夏季オリンピックである「ミュンヘンオリンピック」が開催され、建築に関わる人間にとっては、フライ・オットーが設計した軽やかなオリンピック・スタジアムが、そして世界の人々には多くの人が犠牲になった「ミュンヘンオリンピック事件」が有名な場所でもある。

そのオリンピック公園の北に位置するのが世界有数の自動車メーカーであるBMW。日本のトヨタ同様、街自体がその企業によって成り立つというまではいかないが、ポルシェやベンツの本社があるシュトゥットガルト、フォルクスワーゲンのヴォルフスブルクとともに、自動車大国としてのドイツ経済を支えるメーカー都市といっても良い場所である。

滞在中にみたニュースでは今年もアメリカのコンサルタント会社が発表する「世界で最も生活水準の高い都市」の常連であり、今年はなんと4位に順位を上げている。そのことが分かるように東京やNYの様に市の中心部が商業主義に犯されものすごい勢いで発展するわけではなく、きっちりと自分たちの生活の速度に合わせ、街並みが保存され、市内には質の高い大学がいくつもあり、また美術館エリアには様々なタイプの美術館や博物館が立ち並ぶ。

まさに「成熟社会」を体現するような都市であるが、激しく変化するアジアの都市に日常をもつ身にしてみれば、、それが少々退屈に映らなくも無い。

そしてもう一つこの都市に対して建築家としてぜひとも見ておきたいことがある。それは
第一大戦後アドルフ・ヒトラーがこのミュンヘンの地にて政治家としての力を蓄えていき、ドイツ労働者党から発展し後に「ナチス」と呼ばれる「国家社会主義ドイツ労働者党」の本拠地として役割を果たすようになる。

1933年にドイツ政権を奪取する「国家社会主義ドイツ労働者党」は最初の強制収容所であるるダッハウ強制収容所を、ミュンヘンから北西の郊外に同年の1933年に建設することになる。そしてその党の本部は市内のケーニヒ広場(Konigsplatz,Königsplatz)周辺に建てられ、ナチスの理想とする建築の姿がそのまま保存され残されている。

そんな暗い影をまといながらも、現代社会の中で質の高い都市空間として世界に知られるこのミュンヘン(Munchen)。美術館だけでなくこの都市の生活と歴史を少しでも感じ取るような二日間なるようにと願い、飛行機を降りることにする。

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