2015年3月4日水曜日

ケーニヒ広場 (Königsplatz) ★★


ミュンヘンを語る際に避けて通れないのがナチスとの関わり。よく言われるようにこのミュンヘンは「ナチス」と呼ばれる「国家社会主義ドイツ労働者党」の発祥の地であり、ヒトラーが重要拠点とした都市である。

建築家を目指していたヒトラーは、自ら率いるナチスの発祥の地として、それに相応しい壮大な都市計画を実行に移した。その中心地がこのケーニヒ広場 (Königsplatz)である。その建設途中に第二次大戦が勃発したため完成することは無かったが、その骨格は今でも残され、ヒトラーがそしてナチスがどのような都市空間を理想としていたのかを見て取ることができる。

基本的には旧市街地の西北に位置し、東西軸からやや触れた軸線にそって矩形のケーニヒ広場 (Königsplatz)が西に、そして円形のカロリーネン広場(Karolinenplatz)が東に配置される。

ケーニヒ広場の周辺には矩形に沿うようにして様々な古典様式を模した建物が並べられ、カロリーネン広場の中心には点としてオベリスクが高さを持って建てられる。

西からアプローチしていくとまずはアテナのアクロポリスの丘の様に、プロピュライオン(古代ギリシャ神殿柱廊門,Propyläen)がゲートとして人々を迎え入れる。これは古代ギリシャにおいて、神殿へと通じる道に神域を示す門として作られたタイプの建築で、この建築はバイエルン王のルートヴィヒ1世により擬古典主義を採用して1816年に造られた。

その門をくぐると軸線を挟むように対峙する神殿が見えてくる。北側がグリュプトテーク(古典古代彫刻の美術館,Glyptothek)。そして南側が古代美術博物館(Antikensammlung)。

さらに先に進むと、再度南北に対称となった矩形の建物が見えてくる。北側が旧ナチス党本部(古代彫刻博物館)、南側が旧ナチス総統官邸(音楽大学)であり、ここでナチスの様々な活動が行われていたという場所である。

中央の軸線状には案内板がおかれ、この場所がどういう計画をなされたか、またこの場所でどのような活動が行われたかを写真と一緒に説明しており、これはかなり読み応えのある内容となっている。

そのすぐ脇にはパンテオン(栄誉堂,Pantheon)と呼ばれた建物の土台が残されており、これはナチスの重要なイベントが開催されたが連合軍によって戦時中に爆破されその跡のみが今に残るだけとなっている。

戦後70年を迎える2015年にも関わらずこれだけの建物が未だに残されているのは、ナチスが巨大化していくなかで、その拠点をベルリンに移したことにより、この発祥の地のミュンヘンは戦略上あまり大きな意味を持たなくなったことで、連合国の攻撃目標に入らず、その為に多くの建物が無傷のまま残されたということらしい。

せっかくなのでミュンヘン郊外にある初めて作られた強制収容所であるダッハウ強制収容所跡地を見学したいと思っていたが、「ダッハウは時間的に無理ですねー」と言われ、しょうがなくナチスの陰が付きまとい、なんとなく暗い風景を作り出しているこの広場を後にして、中心地の博物館エリアへと向かって足をむけることにする。


プロピュライオン(古代ギリシャ神殿柱廊門,Propyläen)
グリュプトテーク(古典古代彫刻の美術館,Glyptothek)

古代美術博物館(Antikensammlung)
旧ナチス党本部(古代彫刻博物館)

旧ナチス総統官邸(音楽大学)




カロリーネン広場(Karolinenplatz)のオベリスク
旧ナチス総統官邸(音楽大学)

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