2015年3月2日月曜日

映画と読書のギャップ

飛行機の中の過ごし方。まずはどんな映画が更新されているかチェックする。手元には鞄から出しておいた数冊の本があるにもかかわらず、気になっていたタイトルがあるとついつい観てしまう。

「映画を観る」という行為は極めて受動的である。基本的に自分は何もせずに視覚だけを使って物語を追っていくだけ。脳への負担は極めて少ない。それでいながら、小説家が魂をこめて書きあげた一冊の本をたった2時間に集約して仕上げた物語を、あたかも本を一冊呼んだかのように「見終えて」しまう。

一冊の小説を、どんなに内容が薄くてもやはり2時間で読めることはほぼ無い。しかも手で本を保持しながら、頁をめくりながら一行一行追っていく。単語をおい、台詞をおい、行間をおい、人間関係をおっていけば、おのずと脳への負担は大きくなり疲れも出てくる。

それでも、読み進めるとともに視界が開けるように物語の世界が見えてきて、生き生きと登場人物たちが立ち上がってくる。少なくなる残り頁とともに、次のページをめくるのを楽しみに思いながらも、終わってほしくないという相反する気持ちを処理しきれずに最後まで物語を読み終える。

文章から想像力を駆使して作り出した自分だけの本の世界に十分浸り、その中で自分の記憶に残る部分を選択していく。そんな極めて能動的な行為が読書にはある。たとえ映画で2時間で観終えてしまう小説が読み終わるのに1週間かかるとしても、その行為としての体験は遥かに内容が濃いと言わざるを得ない。

忍耐力がどんどん失われていく現代社会。その中で少しの差に見える映画と読書のギャップ。その意味をしっかりと理解してその上で何を読み、何を観るのか選択していく。それがこれから我々に突きつけられている問題意識なのだと思う。

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