2015年2月21日土曜日

国府総社神社(そうじゃ) ★


古代の日本においては、その土地に着任する国司は勤務地となるその地域の国府に向かうことになる。そして最初の仕事として赴任国のすべての神社を巡り参拝を行う。しかし、国のあちこちに散らばっているすべての神社を、交通の便が良くなかった古代の時代に巡ると言うのはそれだけでも相当な時間と労力を要する。

その為に、平安時代にその簡易化をはかり、国府付近に、その国のすべての神社の祭神を集めて祀る神社として総社を設けることになったと言う。つまり総社は国府のあった場所に存在し、相当古い歴史を持つということである。

そんな訳でこの土佐国の総社を尋ねるために訪れたが、他の多くの総社同様に、歴史の中で一度廃れてしまったが、この土佐に関しては付近の有力な寺院であった国分寺の存在が大きく、その境内の一部に移転することで現在まで生きながらえているという訳である。

国分寺でも書いたように、この付近は土佐国の中心であった国府の所在地として古代から中世まで非常に栄えた場所であったという。それは紀貫之の記した「土佐日記」からも読み解ける。その栄華を、現在まで保ち続ける国分寺の境内の脇にひっそりと佇むようにして鎮座するのがこの総社。

上記の話を知らずに訪れると、そのあっけなさに驚くいてしまうくらい、総社というイメージから想像される規模からは程遠い小ささである。また地図にも表記されず、ネットでもほとんど情報が無いために、ここを目的地としていってもなかなか見つけられないと思われる。

しかし、他の国府同様に、この地がかつての日本の重要な場所であったのが良く分かる、とても気持ちの良い風景と、この国を支えてきた農業の基礎である田園の上を吹きぬける風を感じながら、そこに少しだけ「土佐日記」の風景を重ねながら次の目的地へと向かうことにする。




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