2014年10月28日火曜日

学ぶことが目的の時間の価値

フランクフルトにてポルシェ・デザインのためのタワーを設計する国際コンペが始まる。世界各国からいくつかの設計事務所が招待され、数ヶ月に渡って案を練って提出することになる。

Porsche Design  Frankfurt

プロジェクトの数だけクライアントがいて、同じ数だけプロジェクトの要綱がある。どんな場所の敷地に、どのような規模の、どんな機能を持った建物が要求されて、どんな条件の中、何が求められ、何ができないのか。そして最終的にどんな提出資料を求められるのか。

クライアントが何を評価し、何を求めているのか。複雑な事象を平衡しながら進めていく建築設計の作業の中で、それぞれの与件を理解し、その間の関係性を見つけ出し、優先事項を自分達の中で整理していく。

と同時に、敷地固有の条件である方位や眺望、環境条件や周囲の開発状況などの経済による影響を読み解いていく。

そんな細かい情報を見落とさないようにと、英語で書かれた要綱に目を通すことが一番最初の作業となるのだが、英語を母国語としない我々にとっては、毎回のことであるが、この要綱の読み込みもまたかなりの作業となってしまう。

毎回必ず意味が不安な単語にぶつかり、その度にネットにて意味を調べる、文脈と確認していくことになる。その時に文脈だけ理解するレベルで流してしまうと、次に出会ったときに再度同じ作業を繰り返さなければいけないために、面倒でもメモを残して、後に見直し、記憶に焼き付けるようにしていく。

colloquiumやvicinityといった、何度か見かけたことがあるはずの単語は二度と調べる手間を取らせないようになんとか覚えようとするが、やはりこの歳での暗記はそれほど効率的にいかないこともあり、少なくとも数度見直して海馬に引っかかるように努力をする。

そんなことを繰り返している折に、英単語を覚えるために時間が費やせた学生時代が、どれだけ贅沢な時間であったかとふと思う。こうして仕事を進めなければいけない中で、同時に英単語も覚えなければいけない社会人には、覚えることが目的となる時間が過ごせることがどれだけ得がたいモノか。

そんなことを考えながら、少なくとも何年後かに同じ単語を調べるという無駄を犯さないように、少なくともこの中の幾つかは確実に記憶に取り込んでしまおうと気を奮わすことにする。

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