2014年6月16日月曜日

本当にすぐ忘れる

人間はすぐに忘れる生物である。忘れることによって、新しい毎日を生きていける。忘れることが出来なければ、悲しいこと、悔しいこと、辛いことをいつまでもいつまでも心に抱えて生きていかなければいけない。その心の防御として忘れるメカニズムが人間に与えられた。

しかし、人間が生きていく上で必要なレベルの情報を遥かに超えた情報に毎日晒される現代人。本来なら一つ一つの情報に対して、自分の中でじっくりと向き合い、そして消化し、時間をかけて徐々に忘れていく。それが忘れるメカニズムであったにも関わらず、現代においては過度な情報に日々晒されることによって、強制的に忘れることを行わされている。

常に新しい情報。
常に新鮮な刺激。
それは次なる消費に繋げ、
テレビ局の視聴率へと変換される。

ということで、少しでも世間の関心が薄れたと判断されたものは、すぐにメディアから姿を消し、新しいものや人にスポットライトが当てられる。自分で忘れようとして忘れているわけではなく、メディアから姿を消したニュースを記憶から失っていく。外からの記憶の操作。

21世紀の7不思議とあれだけ騒いだ「マレーシア航空機失踪事件」。恐らく多くの人は既に忘れ去り、こうして言葉を聴いたとしても、「ああ、そういえばあったね、そんなこと」というレベルであろう。それは事件が解決したからでも、事実が解明されたからでも、それぞれの中で決着がついたからでも何でもなく、ただただメディアが報道をしなくなったからだけである。

そして何故メディアが報道をしなくなったのか。それはメディアの内部でこれ以上報道しても視聴者を惹きつけられない、視聴率に繋がらない。つまりお金にならないと判断されたからである。

ソウルで起こった、「セウォル号沈没事件」。世紀の事故だと騒がれ、オーナーのトップが姿を消しているなか、根本的な事故原因が解明されている訳でも無いにもかかわらず、それでも世間の関心は既に次に移ってしまっている。何百人という若者が命を落としたという事実にあれだけ嘆いていたにも関わらず。

それだけ日常を過ごすということは、その場に留まっていることを許さない強制力があり、関心を引くに十分な新しい事件や痛ましい事故が起こるのも事実である。そして世間の今の関心は既に南米のワールドカップへ移っている。

忘れることが必要であり、これが資本主義に支配されたメディア世界の成り立ちであるならば、それがスピードアップしていくのは避けがたいことではあるが、それにしてもすぐ忘れるのに程があると思わずにいられない。

これほど全ての人が一瞬で忘れることを経験しているのは、人類史上未だにないことであろう。メディアやニュースで取り上げられなくなったら忘れる。これは既にある種の病気ではないかと思わずにいられない。

自分の意思で覚えているのではなく、自分で選んで記憶しているのでもない。

そう思うとただただ恐怖を感じるだけである。

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