2014年5月9日金曜日

何かやれば叩かれる

誰でもネットで発信者となることができるようになった現代。

今までなら目に届くことの無かった個人の思いが日々ネット社会に溢れるようになる。それがどれだけの根拠を持っているかに関わらずただただ垂れ流しのように言葉が流される。

そんな現代においては、何かをやろうとすれば、必ず叩かれることになる。匿名の特権で、人間の心の暗い部分が首をもたげ、批判の言葉となってネットを駆け巡る。

やることが多ければ多いほど、叩かれる回数もまた多い。
変化が大きければ大きいほど、批判の量も多くなる。

それが現代。

それならばいっそやらない方が楽じゃないかと思ってしまう。
新しい価値を作り出そうと努力しないもの達が、
何かに挑戦しようとするものをひたすら叩き、気力をそいで行くのが現代の図式。

しかしその言葉が何の意味を持つのかを考える。
ネガティブな言葉に明日を作る力があるはずもなく、
同じ土俵に立たずに発せられる言葉は空虚以外の何者でもない。

そうして考えると、ネガティブな言葉に遭遇するたびに、
落ち込んでいたり、凹んでいたりはできない。
それこそ時間の無駄以外の何者でもない。

という自分も建築や庭園を見に行っては、
「これは良かった」「あれは良くなかった」などといっているが、
これはあくまでも自分の設計活動に反映し、
自らの進む道をより明確化する作業の一つ。

それに対してネットではただただ軽い悪意が増殖するのみ。
それに反応するのも、またそういう悪意を眺めるのすら時間の無駄だということを、
これからの時代はよく理解して時間を過ごさないと、
人生にとって大きなロスをすることになってしまうのだと改めて認識する。

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