2014年4月7日月曜日

クレムリン Kremlin ★★★★


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世界遺産 1990年
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コンペのプレゼンを終え、一気にここまでの疲労が身体に押し寄せる。

しかしせっかくの機会だからということもあって、寝てしまう前にクレムリンに足を運んでみようということなり、一緒に行動をしているオーストラリア人と共にホテルからクレムリンに向かうことにする。

街を移動するためには、徒歩、タクシー、バス、地下鉄と様々な手段があるが、この町に初めて来た外国人がどこまでその移動手段にアクセスでき、使いこなせるかは観光都市として大きな判断基準となる。

明日一日はモスクワ市内の建築を巡ることになっているので、その為にもモスクワの公共交通がどれだけ外国人フレンドリーなのかを判断するために、歩いてもいける距離だが、あえて地下鉄に乗って出かけることにする。

まずチケット。プレゼンの帰りにアラップの人が買ってくれたのが、地下鉄の回数券。どうもどこまで行ったらいくら、という方式ではなく、一回入ったらどこまででも行ってよいという方式らしく、チケットは10回使えるという。しかもバスでもなんでも同じもので行けるというからなかなか便利。

そんな訳でホテルに戻り、荷物をおろし、服装を楽なものに着替えてホテルのレセプションで周辺地図をもらい、地下鉄地図があるのを確認して向かう地下鉄の駅。駅の入り口にはロシア語のみの表記。しかもどうやら渡された地図の表記とは微妙に違っている。旧文字とか新文字とかあるのか、それとも表記が微妙に変わったのかと不安になりながら中に入る。

文字が読めないことがこれほど行動を制限するのかというのをよくよく理解する。1路線の駅なのに、どちら行きに乗っていいのか判断がつかない。しょうがないので地図を見て行き先の最終地の駅の名前の頭文字を記憶し、それを頼りに方向を把握する。

電車に乗ると、今度はどこで降りていいのかが難しい。地図では2つ目のようであるが、残念ながら到着する駅に、その駅の名前が表記されていない。唯一表記されているのはホームと反対側で、電車が来るとその電車によって隠されてしまう場所に書いてあるのみ・・・

地図を信じて2つ目の駅で降りる。表示されている次の駅名を地図で確かめるとなんとかあっているようである。ここまでで、この街で移動することの困難さを痛感しながら地上にでる。今度はどの出口から出ていいのか分からない。とにかく地上にでて、クレムリンらしい方に歩いていくが、その先を邪魔するのが片側5車線の渡れない道路。きょろきょろしていると地元の人が、「あっちから渡れる」というジェスチャーで教えてくれる。そしてなんとかたどり着くクレムリンのチケット売り場。

あまり親切でないサイン計画のために入口がどこかとキョロキョロし、後ろの橋よりセキュリティチェックをくぐり中へと向かう。

ロンドン・ブリッジを思い出しながら橋を渡っていくと流石は世界でも有数な観光地ということもあり、なかなかの高揚感を感じて城壁の中へ。城壁という強烈に中と外を隔てる境界線をもつ場の力強さを感じながらも、どうしても「クレムリン、クレムリン、グレムリン・・・」と心の中でつぶやきながら先を進む。

さてこのクレムリン(Kremlin)。言わずと知れた旧ロシア帝国の宮殿であり、ソ連時代には、ソ連共産党の中枢が置かれたことから、ソ連共産党の別名とも知られている。現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれ、ロシアの中心、モスクワの象徴的場所である。

ロシア語ではクレムリは「城塞」を意味するといい、歴史の中で周囲の脅威から守られながら、内部に華麗な教会建築を抱えてきた場所でもある。城壁の総延長2.25km。20の城門を備え、内部には様々な時代の様式による宮殿や大聖堂が集まっている。そしてところどころに立ち上がる特徴的な「塔」が何とも心地良いリズムを風景の中に作り出している。

さすがに全ての塔や宮殿をめぐるのは無理なので、有名どころの聖堂に向かうことにする。

イヴァン3世の時代にイタリア人建築家を登用しルネサンス風に改築された城壁。内部にも様々な聖堂が整備されるようになる。それらの聖堂は中心に位置する大聖堂広場をぐるりと囲むように配置されている。

まず右手に見えてくるのは、1479年再建のウスペンスキー大聖堂。生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう)とも表記されるロシア正教会の聖堂であり、ここではツァーリ(ロシア皇帝)の戴冠式を行われる。

その向かいに見えてくるのが、ツァーリの納骨堂のある1508年建立のアルハンゲリスキー聖堂(聖天使首大聖堂)。

その右手に建つのが、ロシア軍の戦勝を祝う場所である、1489年建立のブラゴヴェッシェンスキー聖堂(聖母受胎告知の聖堂)。

そして振り返ると、ウスペンスキー大聖堂の横に一番高い聖堂が目に飛び込んでくる。これが1508年建立のイヴァン大帝の鐘楼。

これらの教会に足を踏み入れるが、他のヨーロッパの国々で一般的にイメージされる教会とは様相を異にし、黄金色に装飾を施された華麗な内部空間が特徴的である。日本人としてこれを理解するためには、まずはロシアにおけるキリスト教の位置づけ、つまりはロシア正教会(Russian Orthodox Church)、を理解しなければいけないのだろう。特にネイティブであるオーストラリア人を同行者としていると、こちらが当たり前に理解しているだろうという体でOrthodoxなどという単語を使ってくるから厄介である・・・

ロシア正教会は文字のごとく正教会に属するキリスト教の教会であり、一カ国に一つの教会組織を具えるという原則にそって、他のギリシャ正教会や日本正教会などと同様にロシアでの正教会ということである。

では、その正教会はというと、ギリシャ正教や東方正教会(Orthodox Church)とも呼ばれるキリスト教の教会(教派)の一つという。イエス・キリストの直弟子である十二使徒に直接に連なりその教えを継承するという信念である使徒継承(しとけいしょう)として広く認識されるのは、カトリック教会、正教会および東方諸教会であるという。

11世紀の東西分裂を経たキリスト教はカトリックとプロテスタントなどを中心とした西方教会と、正教会を中心とした東方教会へと流れを隔て今に至る。ここら辺になるとある程度専門的な知識が必要になってくるので日本人にはなかなか馴染みにくいところである。

さてその正教会の教会建築がどのような特徴を持っているかといわれれば、まずは平面がギリシャ十字型に構成されるものも多いということであろう。ギリシャ十字というのは、縦と横のクロスの長さが等しい十字計ということであり、それに対して西方教会でよく見られるのは奥行きのある縦が横に対して長くのびているラテン十字である。

そしてロシアの伝統的建築といえば、世界遺産にも登録されているキジ島の救世主顕栄教会に見られるように、木造を使った華麗な装飾を持った建築物が古くから作られていたという。そして技術の進歩に伴って、その木造を石造に変えていく時代を経ていくことになる。

モスクワの街中を歩いているとどうしても目に飛び込んでくるのが街のいたるところにある教会の屋根の何とも特徴的な形状。まさにタマネギの様な形状の例のあれである。このタマネギの屋根は「クーポル」と呼ばれ、祈りが神のもとへ昇ることを表すロウソクの炎を象(かたど)るものだという。

「クーポル」の数は教会によって異なり、一個のクーポルは、教会の唯一の主イイスス(イエス)・ハリストス(キリスト)を象り、五個の時は、ハリストス(キリスト)と四福音を象り、七個は正教会の七つの機密、十三個はハリストス(キリスト)と十二使徒を象るという。

そして特徴的な内部空間は「イコン」と呼ばれる聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像が、壁や天井を埋め尽くす。この「クーポル」と「イコン」が何とも煌びやかなロシア教会のイメージを作り出す。



そんな訳でクレムリンにてロシア教会堂建築の見学を終え、城壁をぐるりとめぐって今度は昼間の赤の広場へと足を向けることにする。














アルハンゲリスキー聖堂(聖天使首大聖堂)
ブラゴヴェッシェンスキー聖堂(聖母受胎告知の聖堂)

ウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)
イヴァン大帝の鐘楼






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