2014年4月25日金曜日

「風立ちぬ」宮崎駿 2013 ★

衝撃的な引退発表の場で発せられた、「創造的人生の持ち時間は10年だ。自分の場合、そのピークの10年間はずいぶん前に終わったんだ」という宮崎駿の言葉。

本当にそうだったんだと思わずにいられない一作。

毎回新しいものを作る時に、歴史の中で誰もやってこなかった、それでいて面白くワクワクして価値のあるものと作り出そうと必死に考えて、突き詰めて、壊して、それでも作っていくのは本当に辛い作業である。

一度世間から評価を得たとしても、世間は「もっと、もっと」と貪欲である。自らももっと違う世界を、もっと違う価値観をと自分を追い詰めていく。世界中の様々な場所からインスピレーションの元となるものを探し、それを何とか昇華させ自分の言語としていく作業。

その作業を何年も、何十年も繰り返していくのは本当につらい仕事であるし、誰でも右肩上がりでいける訳ではない。何か新しい価値を作り出そうという職種についている人間であれば、誰でも必ず自覚していることである、「クリエイティブにはピークがある」という事実。そしてそれが自分にとってそのピークがいつくるかという恐怖。

誰もがそのピークをできるだけキャリアの後ろにもってこようと、様々なものを読み、様々な知識を手に入れ、様々な角度からのものの見方を習得していく。しかし一番恐ろしいのはそのピークが自分にとってすでに過ぎてしまったということ。つまり自分はすでに降りていく坂道に差し掛かっているということを認めること。

それを認めるのは恐怖以外の何者でもない。プロフェッショナルとして、クリテイターとして過去の自分にすでに適わないと理解すること。

それを避けるために一番楽なのは作らないこと。創作に向き合わないこと。

そしてかつての栄光にすがること。かつて作ったものの焼きまわしや小手先の勝負でやりくりし、地位や名誉に胡坐をかいてその地位を確保し続ける。

または別の価値観にすがりだす。アカデミックを採用し、「これが分からないからお前らにはこの価値が分からないんだ」という態度により、高みに自分を置いてしまうこと。つまり世間との距離を置くことで自らを神格化して批判が起こる可能性を削除する。

こんな風に大体の人が途中でやめる。途中で戦うことから降りる。そして高みに上がってし誰も責めてこないし批判もしない場所で地位を確保しながら時間を過ごす。自らは気がついていながらも。

昔は怖くなかったはずである。新しい企画、新しいアイデアを考える時に用意した真っ白な紙。目の前のその白紙を目にして、今は何をしていいのか分からない。手が動かない。下手なものを書いてかつての栄光を失ってしまうのではという恐怖に駆られる。

建築家もそうである。若い時代、建築を学んで学んで、寝る間も惜しんで修行して、その時間の中で次第に考えを纏めていく自分なりの建築の在り方。それをやっと自分の好きに形にできる独立したての若い頃の小さな作品。すべて自分の手で、オフィスの経営や自分の生活などの経済性を度外視してまでつぎ込んだエネルギーと情熱。

だからこそ熱い思いが込められた不器用でも何か人に伝わるものをもった建築が生まれる。それを見た人に何か伝わるものが作れる時代である。そんな表現したいと思う内容が溢れるように出てくる時期というのは確かにある。

そして繰り返すうちに、徐々に技能もあがり、様々な状況にも対応できるようになり、向き合う内容もより大きな社会へと視界を広げ、クリエイティブの活動はより活発となる。これもやりたい、これもこうやってたら面白くなるのでは、そんなことを考えながら毎日の一分一秒を過ごしていく。それがピークであろう。

アイデアを実現していくにはものすごいエネルギーが必要となる。クライアントや関係者を説得することは、情熱だけではねじ伏せることができない。経済性や機能性など様々な要因をカバーしていく必要が求められる。

どんなに時間や手間を使ってでもなんとかアイデアを実現させたいと駆り立てるエネルギーと情熱。しかしいつの間にか、それを続けていけなくなる時がくる。いつからか出来なくなる時がくる。楽をしているわけではないがそうして一つ一つに全力を傾けるよりも、全体を眺めてやれることを増やしていくことの方が大切だと思うターニングポイント。

時間とともに知識や経験は増えていく。技能で見たらそれで設計がうまくなるだろう。設計なんてまさにその通りである。熱くガリガリやっていても、それよりも大きなスケールでの決定に影響を及ぼす方がよっぽど意味があるだろう。

しかしそれではプロジェクトをスムースに進めることになるが、プロジェクトを良くすることと同意ではない。これが難しい。知識や経験がある人が作った作品が良いとは限らないと同じように、そりゃ機能的だったり、毎日使うのに適していて、世の中の主婦は喜ぶとしても、しかしそれだけでは評価できないことがあるのが建築である。

建築家のエゴだといわれるのかも知れないが、ゴツゴツして不器用であるが、何か新しい可能性、新しい思いを感じられる建築空間。その手触りがプロジェクトの中から感じられなくなった時に恐らくピークが過ぎた時なのだろうと思わずにいれれない。

宮崎駿が言った言葉の意味もそうだったに違いないと想像する。

映画も同じ。ゼロ戦に生涯をかけたとかそういうことではなく、何かこの人で無ければ作り出すことのできない世界観というのが画面上に現れたかどうか。それが映画のゴツゴツ感であろう。そしてこの映画からはそれが一切感じられなかった。

誰もが見たことの無い絵を思い描き、それが他の誰かにとっても美しかったり 感動を呼び起こすものだと信じ、情熱に突き動かされ、頼まれても無いのに何枚も絵コンテを描き続け、オフィス内で何度も激しいやり取りを繰り返しながら徐々に生まれてくる特別な世界観。

ナウシカやラピュタが持っていたあまりに新鮮な世界観。それがファンタジーであるかどうかではなく、そこにその人が介在したからこそこの世の中に生み出された新しい価値があるということ。

そんなことを思いながら、自らの建築家のピークを感じることなくいつまでもゴツゴツ感のある建築を作り続けていけるようにと机のスケッチに向き合うことにする。
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スタッフ
監督 宮崎駿 
プロデューサー 鈴木敏夫
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キャスト
庵野秀明 堀越二郎
瀧本美織 里見菜穂子
西島秀俊 本庄
西村雅彦 黒川
スティーブン・アルパート カストルプ
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作品データ
製作年 2013年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 126分
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